東京1964 共生の時代へ 2人の県人とパラリンピック

1964年、日本で初めて開かれた東京パラリンピック。その選手団名簿は日本パラリンピック委員会によって公開されている。選手53人中、神奈川県が最多の27人、続いて大分県が12人。2県が大勢を占めていたのには理由がある。国立箱根療養所(神奈川県小田原市)と国立別府病院(大分県別府市)が当時、障害者スポーツに取り組み始めた先進施設だったからだ。そして、その東西の拠点にそれぞれ愛媛県人がいた-。
2021年、再び東京でパラリンピックが開かれるまで57年の歳月が流れた。共生の時代に向けてパラリンピックは何を残すことができるのか。2人の足跡をたどり、障害者スポーツに込めた思いを受け止める。

パラリンピック聖火リレー集火式の大分県代表を務めた須崎勝巳さん。東京で使うはずだったトーチをにこやかに掲げる=8月16日、大分県別府市(須崎さん提供)