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2021
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生きるあなたの思い出と 日航ジャンボ機墜落 県人遺族の36年

 最愛の人を奪ったあの夏が巡る。520人が亡くなった日航ジャンボ機墜落事故は12日で36年。愛媛県出身者は働き盛りの男性3人(35歳、40歳、50歳)と女性2人(21歳、28歳)の計5人が犠牲になった。
 「会いたい」「悔しい」。事故後、絶望の日々を生きた遺族。亡き人との思い出や周りの支え、安全への祈りを胸に前を向いた。時間経過とともに少しずつ歩みを進める一方、関係者は高齢化し、日航では85年以降入社の社員が9割を超えるなど、あの日は遠い記憶になりつつある。
 もう36年、まだ36年。悲しみを抱えながら、懸命に生きた県人遺族の思いを伝える。

 【日航ジャンボ機墜落事故】1985年8月12日午後6時56分、羽田発大阪行きの日本航空123便が群馬県上野村の山中に墜落。乗客乗員524人のうち520人が死亡、4人が重傷を負った。単独事故では死者数が航空史上最悪の惨事。
 同機は午後6時12分に離陸。同24分に衝撃音とともに機体後部の圧力隔壁が破壊され、垂直尾翼の大半が吹き飛んで動翼を動かす油圧装置が作動せず、操縦不能に陥った。機体は激しい上下運動や蛇行運動を繰り返しながら、同56分に尾根に激突した。
 87年、当時の運輸省航空事故調査委員会は調査報告書を公表。78年の尻もち事故に伴う米ボーイング社による圧力隔壁の不適切な修理に起因して疲労亀裂が発生、隔壁の強度が低下して飛行中の客室の与圧に耐えられず破壊に至ったと推定した。亀裂が点検整備で発見されなかったことも関与していると推定した。

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