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愛媛新聞ONLINE

2019
819日()

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 愛媛新聞は今回、1945年7月26日深夜から翌27日未明にかけてあった松山大空襲をテーマに、体験者らに取材。東京大大学院の渡邉英徳教授に依頼してのモノクロ写真のカラー化や、被災実態の解明に取り組んだ。空襲の恐怖や当時の人々の生活を、より視覚的に受け止めてもらう試みだ。
 松山市戦災復興誌によると、大空襲の死者は251人。行方不明者8人。負傷者は無数。被害戸数は全市で1万4300戸に上る。実際の死者はさらに多いとみられ、諸説ある。

 松山空襲 県史(1988年)には、松山市への空襲は45年2~8月に計21日あったと記されているが、全容は不明。死者数も複数の異なる記録があり、はっきりしない。旧市誌(62年)や市戦災復興誌(69年)には、松山大空襲と呼ばれる7月26日深夜~27日未明の市街地への焼夷弾攻撃で251人が亡くなったとあるほか、県史には市事務報告書(45年)を基にした45年中の死亡者385人を併記。愛媛県分の戦時中空襲被害状況報告(45年10月1日付)では、当時の松山市の死者数(船舶被害を除く)を378人としている。56年建立の太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔(兵庫県姫路市)には、411人と刻まれている。

 焼夷(しょうい)弾 ゼリー状の粗製ガソリンなどを詰めた爆弾。攻撃対象を爆風や飛散する破片で破壊する通常の爆弾と異なり、焼き払うために使う。約900~1300度の高温で燃焼。「米軍資料から読み解く愛媛の空襲」(2005年発行)などによると、米軍のB29爆撃機約130機が松山大空襲で大型のAN―M47A2(直径約20センチ、長さ約120センチ、重さ約45キロ)や、小型のM69(直径約8センチ、長さ約50センチ、重さ約3キロ)38個が空中で散開する「E46」など計約813トンを市街地に投下した。

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