その新聞社は折り紙機能つきの新聞を売り出した。記事の内容に合ったものを折ると、半日だけ本物になる。例えば花祭りの記事で桜を折れば、瑞々しく咲き命が通う。
新聞社の想定外だったが、鶴だけはどの記事で折っても本物になって空を飛んだ。新聞はその町が平和であってほしいという、願いをもって書かれているのだろうか。
ある日SNSで、同じ日にみんなで鶴を折ろうと呼びかけられた。その足に支援物資を結んで、戦争で焼ける麦の国まで届けてもらおうというのだ。
どうせ半日で紙になると笑う人もいたが、百人ほどが面白いと言って賛同し、それぞれカイロや毛布、缶詰を結わえて鶴を飛ばした。
鶴は折ったそばからいつにない大きさになり、予想に反して長旅を続けた。
途中、季節外れの重たい雪が幾羽か沈め、国境を越えた辺りで戦火にまぎれてまた散った。
それでも多くの鶴は麦の国の町の人に、あるいは兵士のもとに降りて物資を届けた。
そして役目を終えると一枚の新聞紙に戻り、春の雨に打たれて地に溶けた。
【田丸さんコメント】
なんと深みのある物語だろうと、ひどく胸を打たれました。新聞に不思議な折り紙機能がつくというアイデアが秀逸なのはさることながら、そこからの壮大な展開、呆然とするしかない結末もお見事です。鶴だけは常に本物になる理由へのさりげない言及も素晴らしく、傑作だと思いました。
屋台があった。どうやら素麺の屋台らしい。
物珍しさに眺めていると「らっしゃい、どうぞ」と朗らかな声が飛んできた。せっかくだから、呼び込まれるまま席につく。屋台で素麺を食べるなんて初めての経験だ。
「へい、お待ち」 ワクワクしながら待っていると、流石の早さでザルに盛られた真っ白な麺と、濃茶色の麺つゆが差し出された。薬味は、小葱にショウガ、細切りの茗荷。どれも色鮮やかで良い香りがしている。
「いただきます」 まずはシンプルに素麺をつゆに浸して口に運ぶ。唇からするりと滑り込んだ麺は、昆布の風味を纏い、上品な小麦粉の味わいを広げ、僅かな柑橘の気配を残し、口の中を幸せで満たして、颯爽と喉の奥へ駆けていく。
「う、美味い」 思わず感嘆の声を上げると、大将は豪快に笑ってお茶を注いでくれた。夢中で食べ進める。輝く麺と艷やかなつゆは、薬味とも縦横無尽に絡み合い、様々な後味を振り撒いていく。これが美食というものか。食欲だけではない満足感にうっとりと浸る。
「大将、明日も食べに来ます」 「おっ、ありがとな。けど、次はいつどこでやるか分からないんだ」 「えっ」 「うちは、流しの素麺屋なんでね」
【田丸さんコメント】
「素麺の屋台」というアイデアに、本当にあったらとワクワクしました。そして、圧巻なのがそうめんを食べる描写です。口の中にも自然と味が再現されて、いま実際に食べているかのように錯覚します。そうめんの特徴に掛かった結末にも、思わず「うまい!」と叫びそうになりました。