愛媛新聞ONLINE

2023
1211日()

市内電車旧型車両「50形」 松山で走り続ける古希の車体

 

 長年にわたり松山市民の足として親しまれてきた市内電車。最新式もいいけれど、昭和から現在も走り続けている旧型車両「50形」も根強い人気を誇る。フロントや側面に50~70番台の数字が書かれた車両だ。活躍期間が長いことから、市内電車といえばこれ、という人も多いのではないか。最も古い51号は製造から70年以上、人間に例えると古希を過ぎている。総走行距離は約285万5千キロにもおよび、今でも元気にまちを走り続けている。戦後から続く松山の風景でもある車両の歴史と、それを支え続ける人たちを追った。(松本佑介)

 

伊予鉄道古町駅の整備場。ここで各種検査を行う

■戦後復興とともに登場

 50形の初登場は1951年。大阪の車両メーカー「ナニワ工機(現アルナ車両)」が製造し、51~53号が同時デビューしている。その後、1953年に54、55号、1954年に56~58号、1957年に59~61号、1960年に62~64号、1962年に65~69号が製造され、伊予鉄道市内電車の主力となった。70号以降は帝国車両の製造になり、1963年に70~73号、1964年に74~76号、1965年に77、78号が運行を始めている。

 戦後、松山市では復興が急速に進み、市内電車の路線もそれに合わせて拡大した。1947年松山市駅-南堀端間、1948年札ノ辻-本町二丁目間が開通、1949年県庁前-一番町間が複線化された。その後、1962年に本町-本町7丁目間が開通。1969年には城南・城北線が接続され、現在の市内電車の路線が完成している。

 市内電車の数は、1948年には早くも戦前の20両を超える21両体制となったが、利用者はそれ以上に増え、輸送力は逼迫(ひっぱく)。そんな状態を受けて1951年、50形は大量輸送の使命を背負って登場することになる。

 

「ナニワ工機」の銘板。車内前方に掲げられている

■「50形」の仕様・・・

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