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宝塚 夢かなえた18年 花音舞さん(新居浜出身)インタビュー

 

 

 

 

 

 宝塚歌劇団で高い歌唱力やマルチな演技力を武器に活躍してきた、新居浜市出身の花音舞(かのん・まい)さんが9月末の公演で退団した。入団からの18年を振り返り「宝塚でかなえたい夢が全てかないました。何の悔いもないです」とすがすがしい表情で語った。(聞き手・小田良輔)

■「夢ノート」一つ一つ実現

 

宝塚歌劇団を退団して今の心境はいかがでしょうか。 やることに追われて忙しい毎日でした。好きなことを毎日してきたので、仕事をしている感覚より「常に上を目指して頑張らなきゃ」という気持ちで走り続けてきました。気がつけば18年。いいことばかりではなく、思うようにいかず壁にぶつかったこともあります。でも、それを乗り越えると活力になりました。
 音楽学校に入る前から「夢ノート」をつくっていて、小さな夢をたくさん書いて、クリアするごとに次の夢を書いてきました。最終目標は「エトワール」(フィナーレの最初をソロで飾る歌姫)でしたが、そこだけを目指すと途中でくじけそうになります。だけど「ソロで歌いたい」「ダンスの選抜メンバーに入りたい」とか、小さな目標だと頑張れるんです。その夢を一つ一つ実現していくのが楽しくなっていって。宝塚でかなえたかった夢はすべてかないました。

エトワールは2015年と2020~21年の2度務めました。 私はずっと歌が好きだったので、エトワールが1番の目標でした。15年の全国ツアー「シトラスの風」で初めてエトワールを経験させてもらいましたが、「いつか宝塚大劇場の大階段で務めたい」と思っていました。歌姫とされるエトワールは歌唱に特化した人しか務めることができない役です。
 去年の9月、稽古場の壁に「アナスタシア」の配役が張り出されて、自分の名前のところに「エトワール」と書かれているのを見つけました。もう何ていうか、胸が熱くなりました。音楽学校に入学したときと同じような感情が沸いてきて、涙が出ました。
 エトワールが決まったとき、自分の夢はすべてかなったので、もう何の迷いもありませんでした。年末公演に向けてフィナーレの振り付けの稽古をやっているときに「次の公演で辞めます」と劇団に伝えたのを覚えています。

■「エトワール」一番の思い出

 

数ある中で一番の思い出は何でしょうか。 もちろんエトワールが一番です。宝塚に入っていろいろなお芝居が好きになって、子役からおばあちゃんの役までいろいろ経験させてもらいました。
 宝塚の「娘役」をずっと追求してきましたが、そこに縛られない、自分にしか出せない役者像をつくり出せたらと思っていました。「コメディアン」のような面白い役がつくことも多かったですが、ありがたかったです。
 「正統派の二枚目しかやりません」「汚れ役はやりません」みたいな人もいますが、私は「何でもやります」というスタンスでやっていました。エトワールを務めた「アナスタシア」の公演ではちょっとおかしな役というか、毎日アドリブをしないといけない役だったんです。でも、それが日に日に快感となっていきました。毎日アドリブをして観客が沸く、「ああ、芸人さんってこんな感覚なのかな」って。
 年齢不詳のおばあさんの役を務めたこともあります。役になりきること、演じることは楽しくて。歌もただ歌うのではなく、役に合わせて声色を変える、そこを追求するのがすごく楽しかったんです。お芝居、踊りも含めてエンターテインメントを学ぶことができたと感じています。

花音さんは宝塚歌劇団90周年、100周年の節目も経験しています。 音楽学校のときに90周年式典に参加させてもらいました。同期でたった1人だけ「歌が1番」の人がソロで歌唱する場があって、そこで宝塚の代表曲である「清く正しく美しく」を歌唱させてもらいました。それも夢だったんです。そこに立てたことで「これから歌で頑張っていきたい」という気持ちにもなれました。
 宝塚では10年に1度、運動会があります。その運動会に2回も出場できたのも思い出の一つですね。90周年のときはイベントが多くあって、真矢ミキさんらOGの方々が出る舞台にも、90期生の中から選抜で出させてもらいました。イベントごとにたくさん出させてもらって、幸せでした。

■どんな時も母と姉が応援

 

同期50人のうち多くは引退しました。ベテランの域まで続けることができた要因は何でしょうか。 同期50人のうち、みんな卒業していって、残るのは私を含めて3人でした。ここまで長くできたのは家族の支えが大きいです。どんな時も母と姉が応援し続けてくれました。
 音楽学校のときは環境が厳しすぎて「もう辞めたい」「帰りたい」と弱音を吐いたこともあります。でもそんなとき、母は「じゃあ帰ってきたら」と突き放すんです。そう言われると弱音を吐けないというか「ああ、頑張らなきゃ」と思えましたね。

デビューした時、愛媛新聞の取材に答えていたコメントが印象的でした。その時の紙面では「できればトップスターになりたいけど、みんなで良い舞台を作り上げることの方が大事」と語っています。 宝塚は組の70~80人で一つの作品をつくりあげます。一人一人が戦友であり、仲間。人とのつながりがすごく温かかったんです。舞台に立てば1年目も18年目もみんな同じ。下の子から先輩には話し掛けづらいじゃないですか。だから、後輩にもずっとコミュニケーションを取りたいと思っていて積極的に接してきました。一緒の舞台をつくり上げる仲間という思いでやってきました。
 先輩からは「うまく演じようとしてはいけない」と教わりました。「自分が舞台を楽しんでいたらお客さんに伝わるから」と言われて、そういう思いを持ってやってきました。常に「自分がハッピーでいなきゃな」って。
 いろんな「引き出し」を持っていたら強いだろうなと思って、オフの時は宝塚だけじゃなくて他の舞台とか、歌舞伎を見に行きました。ドラマや映画のいろんな演者も見て、引き出しを増やそうと。だから、18年間ずっと「趣味は観劇」でしたね。でも、それが苦ではなく趣味というか、楽しかったんです。

表舞台で18年生きていく中で、苦労もあったかと思います・・・

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