愛媛新聞ONLINE

2022
77日()

新聞購読
新規登録
メニュー

「峠」岩村精一郎と「民権県令」岩村高俊の断層

 

「峠 最後のサムライ」のポスター(ⓒ2020「峠 最後のサムライ」製作委員会/松竹、アスミック・エース)

「峠 最後のサムライ」のポスター(ⓒ2020「峠 最後のサムライ」製作委員会/松竹、アスミック・エース)

 

「峠 最後のサムライ」のポスター(ⓒ2020「峠 最後のサムライ」製作委員会/松竹、アスミック・エース)

「峠 最後のサムライ」のポスター(ⓒ2020「峠 最後のサムライ」製作委員会/松竹、アスミック・エース)

 

 

司馬遼太郎さんの小説を原作に、越後長岡藩(新潟県)の家老、河井継之助の生涯を描いた映画「峠 最後のサムライ」。7月1日に公開予定だったが、新型コロナウイルス禍のため、2022年に延期されることが決まった。残念だが、この期間に、原作を読んだことがない人はもちろん、ある人も再読してみるのもよいかもしれない。
 というのもこの小説、愛媛にゆかりの深い人物が登場するからだ。幕末のこの国を二分した戊辰戦争で、長岡藩と河井の運命を決めた新政府軍(官軍)との交渉・小千谷談判。この時、河井の要望を退けた軍監・岩村精一郎が、後の初代愛媛県令・岩村高俊(1845~1906年)である。
 原作では「理屈と正義を愛し、それを守るためには居丈高になる」「権力好きの小僧」などと評され、小千谷談判の決裂も岩村に多くの非があるかのように描く。だが愛媛に赴任してからは、地方民会(議会)の開設など先進的、開明的な施策を実行し「民権県令」とたたえられる存在となった。精一郎と高俊。残された資料などから、まるで別人のような評価の落差を読み解いてみたい。
(坂本敦志)

 

「峠 最後のサムライ」のポスター(ⓒ2020「峠 最後のサムライ」製作委員会/松竹、アスミック・エース)

新潟では「敵役」

 岩村は高知・宿毛出身。長兄に初代北海道長官となる通俊(みちとし)、次兄に自由民権運動で活躍した林有造(はやし・ゆうぞう)がおり、「岩村3兄弟」として知られる。

 戊辰戦争では新政府軍の軍監として北越を転戦。若き日の評価を決定付けた小千谷談判は、1868年の旧暦5月2日に行われた。会津討伐のため東進してきた岩村に対し、長岡藩の河井は会津とは別行動を取る藩の立場に理解を求め、和睦のための猶予を願い出る。岩村は「会津藩を説得する」という河井の嘆願について、「時間稼ぎであろう」と全く聞く耳を持たず交渉は決裂。結果として長岡藩は新政府軍と戦うことになり、長岡を中心に攻防戦が展開された(北越戦争)。河井はこの時の戦傷がもとで、会津に撤退する途中で亡くなっている。

 小千谷談判の舞台、慈眼寺(新潟県小千谷市)には2人が会った「会見の間」が残る。船岡芳英住職は「こちらでは峠を読んでいる人が多いので、どうしても岩村さんは敵役といったイメージになります。会談が成功すれば、江戸城の無血開城のようになっていたのにという見方はあるでしょう・・・

    残り:6文字/全文:2328文字

    この記事は読者会員限定です。会員登録すると続きが読めます。

    Web会員登録(無料)で月5本まで有料記事の閲覧ができます。

    ※2022年3月からSpecial Eに「いいね」ボタンを追加しました。
    ※いいね数が増えると励みになります。

    Myページ

    さん(

    今月の有料記事閲覧可能本数 5/5本

    愛媛の情報なら、愛媛新聞のアプリ。

    欲しい情報をいつでもあなたにお届け!プッシュ通知機能も充実。