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2020
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この人の物語 えひめ

第1部 病と共に<4>40時間ぶり救出 安堵

2020年5月14日(木)(愛媛新聞)

岡田行美さんが転倒から退院まで、事のてんまつを書きつづったスケッチブックのページ。右手は動かなくなるかもしれないと言われ、左手でびっしり記した

岡田行美さんが転倒から退院まで、事のてんまつを書きつづったスケッチブックのページ。右手は動かなくなるかもしれないと言われ、左手でびっしり記した

 どれくらい時間がたったのか…。時計を見ることができないので、カーテン越しに差し込む光や、道行く人の気配で時間を推し量っていたが、もはやそれも分からなくなった。階下から入院中のはずの母親が、友達と談笑するような幻聴が。目の前の壁には、脈絡のない言葉が次々と浮かんでは消えた。

 13年前の冬、松山市の自宅に1人でいる時に転んで動けなくなった岡田行美さん(70)。パーキンソン病の薬に手が届かず、体は震えと硬直を繰り返し、やがて完全に固まってしまった。ずっとうつぶせのままなので、ほおや胸が痛い。体の下に敷かれた右腕も。一滴の水も口にしていないので、喉はカラカラだった。

 ぼんやりしていく意識の中で、また人の声が聞こえた。「行美さーん、どこにいるの」。今度も幻聴かと思いながら返事をした。「ここです。2階です」

 バタバタと階段を駆け上がってくる足音がした。「ああ、ごめんね。大丈夫?」。目の前に顔見知りのホームヘルパー3人が現れた。自宅に来た1人が異変を感じて事業所に連絡、岡田さんの弟から合鍵を預かり駆け付けたのだ。

 ピンと硬直した体を、3人がかりであおむけにした。「痛いっ」。思わず声が出た。痛みを感じるということは、これは現実ということか。あえぎながら水を飲ませてもらった。五臓六腑(ろっぷ)にしみた。「私、生きている」。転倒から約40時間、やっと訪れた安堵(あんど)の瞬間だった。

 通院中の同市内の総合病院に救急搬送、そのまま入院となった。母親は退院したその足で駆け付けてくれた。近所の人も何かおかしいと思い、外から様子をうかがったが、鍵が掛かっていたのでどうしようもなかったと、後から聞いた。右腕は動かなくなるかもしれないと言われ、左手で文字を書く練習を兼ねて、友人がくれたスケッチブックに事の次第を記したが、幸い無事だった。入院当初は流動食を飲み込むこともできなかった。手や足は凍傷になり、ヘルペスも発症、退院には1カ月を要した。

 今でも自宅に1人でいる時、体が動かなくなることがある。車いすごとひっくり返り、車いすの下でじっと過ごしたこともある。「もう、しんどい。こんなの嫌だ」と自嘲気味になった時は、この「40時間の孤立」を思い出し、自分を励ます。「あの時生かされたということは、私にもまだ何か、なすべきことがあるということかなと思って」

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