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2020
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この人の物語 えひめ

第1部 病と共に<3>真冬の孤立 死を意識

2020年4月30日(木)(愛媛新聞)

真冬に1人でいる時に動けなくなった部屋で、当時を振り返る岡田行美さん。「私の体験が、同じ病にかかり1人で暮らしている人の参考になれば幸いです」

真冬に1人でいる時に動けなくなった部屋で、当時を振り返る岡田行美さん。「私の体験が、同じ病にかかり1人で暮らしている人の参考になれば幸いです」

 パーキンソン病を隠して特別養護老人ホームで働いていた松山市の岡田行美さん(70)。発病後は、入所者の言葉の裏に隠された気持ちに敏感になった。たびたび鳴るナースコールも、寂しさの裏返しと受け止めるようになったという。「病が思い上がりを戒めてくれた」。そんな職場も次第に無理が利かなくなり、22年前に息子の就職を機に辞職した。

 その半年後、今度は友人の紹介でホームヘルパーとして働き始めた。介護保険制度の導入を控え、勤務の合間に勉強してケアマネジャーの資格を取得。仕事に必要になると思い、パソコン教室にも通った。しかし、薬が切れるのが早くなるなど病気が進行。「他の人に迷惑を掛けられない」と辞表を提出した。たった3カ月のケアマネジャーだった。その後、医療福祉系専門学校のヘルパーコースで非常勤講師を務めたが、板書が難しいことなどから、これも約1年半で退職した。

 以後は母親の喫茶店を手伝ったり、家事を担ったり。外で働くのはやめ「パーキンソン病も薬さえちゃんと飲めば大丈夫」と、どこか楽観視していた。発症から12年、2007年1月の夜までは…。

 その夜、母親はしばらく前から入院中で、家には1人だけ。普段通り2階の寝室に布団を敷き、薬を飲む時間だが先にお手洗いにと歩き始めた途端、スーッと力が抜け、その場に倒れた。「しまった」。起き上がろうとしたが、力が入らない。枕元に置いた薬と携帯電話は足先約1メートル。何とかそこまではって戻ろうとしたが、体がいうことを聞かなかった。

 このままでは体は少しずつ硬直し、ますます動かなくなるだろう。急に薬を止めると、意識障害など危険な症状が出ることもあると聞いていた。身に着けているのはパジャマだけ、暖房は既に切っていた。低体温症の恐れもあった。

 2日後にホームヘルパーが来る予定だが、玄関は施錠している。合鍵を持っているのは、市内に住む弟だけ。機転を利かせて連絡を取ってくれるだろうか。

 疲れて少しうとうとした。そのうち朝日が差し込んできた。外に人の気配を感じるたび、助けを求め叫んだ。固定電話や携帯が何度も鳴った。きっと母親からだと思ったが、出られなかった。

 「このまま死ぬのかな」。再び日が暮れ、不吉な考えが頭をかすめた。いや、あきらめたらダメ。こういう時は、陽気な歌でも歌って元気を出そう。「ソソラ ソラ ソラ 兎(うさぎ)のダンス」。なぜか童謡が口をついて出た。独りぼっちの冷え切った部屋に、歌声がむなしく響いた。

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