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未知の領域 対応苦心

えひめ丸事故16年 加戸前知事振り返る(2017年2月10日付 愛媛新聞)

2017年2月10日(金)(愛媛新聞)

「16年間の思いが去来した」と慰霊碑に向かい、しばらく頭を下げ続けた加戸守行前知事=2017年2月7日(日本時間8日)、ハワイ・ホノルル市のカカアコ臨海公園

「16年間の思いが去来した」と慰霊碑に向かい、しばらく頭を下げ続けた加戸守行前知事=2017年2月7日(日本時間8日)、ハワイ・ホノルル市のカカアコ臨海公園

米沿岸警備隊司令官に行方不明者の捜索続行を要望し、握手する加戸守行知事(当時)=2001年2月、米沿岸警備隊事務所

米沿岸警備隊司令官に行方不明者の捜索続行を要望し、握手する加戸守行知事(当時)=2001年2月、米沿岸警備隊事務所

「16年間の思いが去来した」と慰霊碑に向かい、しばらく頭を下げ続けた加戸守行前知事=2017年2月7日(日本時間8日)、ハワイ・ホノルル市のカカアコ臨海公園

「16年間の思いが去来した」と慰霊碑に向かい、しばらく頭を下げ続けた加戸守行前知事=2017年2月7日(日本時間8日)、ハワイ・ホノルル市のカカアコ臨海公園

米沿岸警備隊司令官に行方不明者の捜索続行を要望し、握手する加戸守行知事(当時)=2001年2月、米沿岸警備隊事務所

米沿岸警備隊司令官に行方不明者の捜索続行を要望し、握手する加戸守行知事(当時)=2001年2月、米沿岸警備隊事務所

(肩書や年齢などは、紙面掲載時のものです)

 

【引き揚げ 日本の死生観説明 刑事責任問わぬ米側に憤慨】

 

 宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」と米原子力潜水艦の衝突事故から10日(日本時間)で16年となる。犠牲者の十七回忌でもある今年、ハワイでの慰霊式には同校在校生代表や中村時広知事、事故発生時に対応の陣頭指揮を執った加戸守行前知事(82)らが参列する。当時の県トップとして、水深600メートルからの船体引き揚げを米海軍に求めるなど「未知の領域だった」という事故の対応に当たった加戸前知事に、発生時の苦心などを聞いた。

 

 

 

【事故発生時の心境は。】

 

 大変なことが起き、災害などとは違い、自分にとっても県にとっても未知の対応を迫られた。スピーディーに、万全を期さなければならないと考えた。

 

 心の中では、文部省(現文部科学省)勤務時代から親交が厚かった当時の森喜朗首相に協力をお願いしようと思っていたところ、翌日、首相から直接電話があり「できることは何でもする」と言ってもらえた。

 

 すぐに上京し、休日の総理官邸で面会。行方不明者の救出活動と、この時は600メートルに沈んでいたとは分からなかった船内捜索の早期実施の2点を特にお願いした。小笠原諸島で活動中の有人潜水調査船「しんかい」を呼び戻し、いつでも出動できるようスタンバイさせることや、世界最高レベルの技術がある日本のサルベージ船の派遣などを約束してくれた。

 

 旧三間町出身の衆院議員故今松治郎氏の秘書として政治生活を始めた森元首相は南予の人と交流があるそうで、搭乗者の名簿にゆかりの名字などを見つけ、親身に心配してくれた。

 

 加害者の米側からほとんど情報が入らず、外務省経由も断片的で遅かった。やきもきする中、情報収集に追われた。

 

 

 

【米海軍の対応は。】

 

 2月20日に事故後初めて現地入りした際は、米海軍トップクラス幹部へのアポイントもなかったが、被害者の代表に会わない選択肢はないだろうとの見切り発車だった。断ってきた幹部もいたが、許せないと抗議して面会し、引き揚げなど4項目を強く求めた。米側は、国柄か「必ずする」などのリップサービスは一切なかったが、善処を約束した文書が届いた。

 

 ハワイの海には太平洋戦争で旧日本軍が沈めた戦艦が、千人超の米兵を乗せたまま数十メートルの海底に沈んでいる。このことを引き合いに現地の一部に、引き揚げに否定的な意見があった。「図に乗るな」という論調が広がるのを懸念し、日本人は遺骨を墓に納め供養することや持ち物がよすがになる死生観を説明した。

 

 法的な責任の有無とは別に「お悔やみ」の意味での謝罪もないなど日米の考え方の違いにも苦心した。

 

 

 

【責任追及や補償、賠償交渉で日米同盟への配慮はなかったか。】

 

 事故が、日米安保条約の見直しのきっかけなどになってはいけないという意識はあった。ただ足かせとは逆に、同盟があったからこそ、(船体引き揚げなど)あそこまでやってくれた面はあるだろう。60億円とされる引き揚げ費用のほか、個人に対する賠償も米海軍で差配できる額をはるかに超えたが「ワシントンで枠を広げた」と聞いている。

 

 当時の艦長らを、軍法会議にかけるかどうかを話し合った査問会議は、海軍将校が査問委員を任命した「身内のゲーム」のように感じた。事故時の一定の状況は明らかになったものの真相解明への追及が甘かった。軍法会議にかけるには相当しないとの査問会議の勧告に基づき、元艦長に執行猶予付きの減給処分が言い渡された際は「依願退職と同じじゃないか」と不快感を表明した。

 

 一方で米側には「業務上過失致死、致傷」という概念がない。故意ではない事故で刑事責任を問わない考え方の米法制度の下で委員会などが進む中、はらわたが煮えくりかえる気持ちは被害者や県民と同じだったが、県として査問会議の結論に抗議する論拠がなかった。

 

 

 

【あれから16年がたつ。】

 

 だれもが未知の世界での対応を迫られたが、特にかかりきりで担当してくれた当時の(矢野順意)副知事がいなければ、心的外傷後ストレス障害(PTSD)への対応をはじめ、体系的な対応はできなかった。

 

 米中枢同時テロが起きた2001年9月11日は、えひめ丸事故にとっても転機になるかもしれなかった。しかし米側は、中断することなくえひめ丸の船内捜索を続けてくれた。それもあり県職員らで募ったテロ被害者への義援金を贈ったところ、当時のブッシュ大統領が来日した際「愛媛からの義援金は忘れられない」と感謝された。

 

 ハワイの慰霊碑は、当時の州知事の配慮で、海が見渡せる素晴らしい場所にある。姉妹提携や野球を通じた交流なども始まった。事故がきっかけだったが、悲劇を風化させないために、こうした友好関係を続けていかなければならない。

 

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