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当事者・家族が語る

がんと命のメッセージ 松山で2講演会

2019年6月25日(火)(愛媛新聞)

医師・根津賢司さん

医師・根津賢司さん

作家・清水浩司さん

作家・清水浩司さん

医師・根津賢司さん

医師・根津賢司さん

作家・清水浩司さん

作家・清水浩司さん

 がん経験者と、患者の家族。当事者が体験を語る二つの講演会がこのほど、松山市であった。命にまつわる言葉の一部を紹介する。

 

【付き合い方と備え 大切】

 市立宇和島病院呼吸器外科科長兼南予救命救急センター長

 医師 根津賢司さん(50)

 市立宇和島病院の呼吸器外科科長兼南予救命救急センター長の医師根津賢司さん(50)は、県立中央病院の外科医だった36歳のときにS状結腸がんと分かり、治療を受けた。「がんを経験した医師」としての思いや、専門の救急・災害医療の現状などについて「治す時代から 付き合う時代、そして備える時代へ」と題して講演した。

 根津さんは、症状に気づいてから検査まで5カ月かかったことを「まさか自分が、と。医師の私でさえ、病院は近くて遠かった」と振り返った。診断後は、専門家として病状が分かるからこその恐怖と不安があったが、周囲が「普段と変わらず接してくれたことがうれしく、支えになった」と語る。

 その経験から、がんを伝える側に戻っても「患者家族が、頭の中が真っ白になっている気持ちがよく分かる」とし、今は「がんは諦める病ではないが、きちんと向き合わねばならない病気」「上手に、一緒に付き合っていきましょう」と言い添えるようにしているという。「もしかしたら、自分が言ってほしかった言葉かもしれません」。それを伝えることが自身の役割、強みだと感じている。

 また一般的ながんや救急・災害医療にも言及。どれも「知ること、備えることが重要」とした上で「がんの正しい知識を持ち、検診や予防にトライを」「県内の救急搬送の半数が軽症。利用を考えつつ、搬送が多い脳疾患の危険因子(たばこや肥満、ストレスなど)を減らそう」と訴えた。

 昨年の西日本豪雨災害では、災害拠点が水没したり断水で飲み水はあっても生活用水がなかったりした状況を紹介。LINE(ライン)など会員制交流サイト(SNS)は「災害時でも途絶えない。昨年も、南海トラフ巨大地震に備え宇和島市と市医師会などで作っておいたLINEグループが、情報収集に役立った」とし、家族や友人間のSNSネットワーク作りによる「備え」も呼び掛けた。

 講演会は、NPO法人愛媛がんサポートおれんじの会(松本陽子理事長、会員約100人)が、総会に合わせて県総合保健協会で開催。会員や医療関係者ら約110人が参加した。

 

【妻の闘病 ブログが救い】

 広島出身・在住の作家清水浩司さん(47)

 愛媛緩和ケア研究会(会長=中橋恒・松山ベテル病院長、会員約300人)が四国がんセンターで節目の第30回総会を開催。医療関係者ら約80人が参加した。広島出身・在住の作家清水浩司さん(47)が「物語は続いていく ~作家ががんに出会った『がんフーフー日記』」と題して講演した。

 清水さんと2009年3月に結婚、川崎市で暮らしていた妻睦(むつみ)さんは4月に妊娠が分かり、半年後の9月に直腸がんが発覚。出産を経て10年7月に38歳で亡くなった。「ダンナとヨメ」の2人は「フーフー言いながら必死に生きた」493日間の結婚生活をユーモアも交えブログにつづり、川崎フーフ名義で「がんフーフー日記」(小学館)を11年に出版した。

 「こーちゃん、私、がんだった」。清水さんは講演で、睦さんが泣きながら電話してきた当時のことを、「急に人生がばたばたと動きだした」と述懐。後に転移を医師に告げられた瞬間が一番つらかったと振り返った。家族と相談し、妻には「ぼんやり伝える」にとどめ、「残された時間を悔いなく過ごせるよう、願いをかなえてあげたい」と決意。故郷の福島県いわき市で、励ます集い「ヨメハゲフェス」を仲間と開いた思い出などを語った。

 闘病生活で助けられたのは「書く」「物語る」「遺(のこ)す」という「三つの救い」。ブログに書くことで「心や状況を冷静に整理できて、感情を外に出せた」「友人や家族が読んで情報を共有し、見守ってくれた。その共感やコメントで、孤独の悲しみが救われた」と感じたという。

 また事実を結び、点を線にすることで「妻の人生が物語として理解できた」。多くの友人や家族に愛された睦さんの最期の言葉は、ノートに書かれた「とりあえず。みんな(全員)と 会えて よかった」。その「よかった」に×印が付けられ「よい」と書き直されていた。清水さんは「過去形だと『死んじゃうみたいじゃん』と自分にツッコミを入れているようで、僕の知っている妻らしいなと思う」と目を細めた。

 出版は「彼女の人生を、本という『お墓』にして遺した感覚。僕らしい弔い方でした」。この三つの救いが遺族の悲嘆を和らげるグリーフワーク(喪の作業)にもなったと述べた。

 現在は、終末期の患者の「聴き書き」を頼まれることも。「書く代わりに話すことで、思いを残せる安心や感情を吐露できる鎮痛につながるのでは、と思います」。そして、睦さんの病を機に敷かれた「人生のレールの上を、僕は今も妻と一緒に歩いている」「人は死んで終わりではないと思う。物語は途切れることなく続いている」と締めくくった。

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