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県内豪雨災害 水がめ野村ダム 元町長・池田忠幸氏に聞く

<中>南予大干ばつを契機に 治水と農業目的で実現

2018年8月1日(水)(愛媛新聞)

野村ダム。水位は平常に戻ったが、周辺の斜面には土砂崩れの跡も残っている=7月25日午後4時ごろ、西予市野村町野村

野村ダム。水位は平常に戻ったが、周辺の斜面には土砂崩れの跡も残っている=7月25日午後4時ごろ、西予市野村町野村

 「既に白石(春樹)知事や松友孟副知事、光宗(開真)本部長、喜安(虎夫)企業長等が待っておられ、自らは下座に下がると、こともあろうに私たちを上座に座らせました。そして『何でも言うことを聞く。何とか野村町を取りまとめてくれ』と言って深々と頭を下げられました」―。

 旧野村町(現西予市野村地域)の町長を務めた池田忠幸(91)は、2007年に回顧録を出版。町長時代に最も印象に残った取り組みとして、町中心部を流れる肱川(宇和川)上流での野村ダム建設推進を挙げ、就任2年目の1972年、松山市の料亭に、町助役や議長らと招かれた際のエピソードをこう記した。

 水害対策のため、ダム建設を繰り返し県に要望したのは野村町。立場が逆転する転機が67年に南予を襲った大干ばつだ。特に深刻だったのが旧吉田町(現宇和島市)で、町誌によると7月9日以降に雨らしい雨が降らず、上水道は極端な時間給水、農作物に被害が出た。10月末にかけて干ばつは続き、農家はドラム缶やタンクをトラックに積み水を求めて殺到。応急対策費用を含む関係被害総額は53億円を超えた。

 「県が主体となり、海岸部の自治体もダムを造ってくれと。何遍お願いしてもやらないでおいて、今更と相当反発もあった」と池田。59年に下流に完成した鹿野川ダム(大洲市)について、町内の水没地区では高台に土地を造成し移転するなどしたが、地盤沈下など生活への影響も出ており不信感もあった。それでも「人間は水が出る所にいけばいいが、かんきつは枯れたら復活に10年かかる。ぜひ助けてくれという知事や地域の熱意に応えた」と振り返る。

 池田によると代替案として大洲市平野部での検討を提案したが、県は市町代表者を集めた説明会で、野村ダム予定地の標高が重要だと説明したという。予定地は海抜約170メートル。佐田岬半島の半ばまで勾配を利用して配水でき、宇和島圏域にも距離が近く大半の地域をカバーする。逆に大洲市の平野部から配水するには夜昼峠がネックになる。揚水には多額の電気代がかかり、農家経営を圧迫する。

 「飲み水やかんがいに困っている海岸部のため、ぜひ供給してほしい。町長さん、170メートルいう数字は意味があるんですのよと(言われた)。南予のミカンが今日あるのは水のおかげだと思う」と池田。「かんきつのためには、ダムが小さくても高い所にあって、自然に水が流れるようにしなければいけない。ただ湛水能力は低くなる」。ダムの有効貯水容量1270万トンの内訳は洪水調節350万トン、利水920万トン、うち農業かんがい用が780万トンを占める。地元が望んだ防災ダムではなく多目的ダムだ。

 町は県に協力条件として、鹿野川ダム水没地域への追加対策を要求。もう一つが「町中心部で流下能力毎秒560トンだった肱川の改修だった」(池田)。県河川課によるとダム計画に合わせ、74~96年にかけて町中心部の野村大橋より上流で河道拡幅などの改修を実施。ダムから毎秒千トン放流しても、基本的に水害を免れる設計になっている。

 改修途中の87年7月に最大毎秒720トンが放流されたが、過去のような甚大な被害はなかった。ただその際の最大流入量は毎秒806トンで、今回の豪雨は1942トンと約2・4倍だ。「今回は被害は避けられなかったと思うし、ダム容量が少なく大雨が降ったらすぐいっぱいになる実情も知っている」と池田。ただ避難者の一人として疑問も感じる。もっと被害を減らすすべはあったのではないか。

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