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聖地を沸かせた名選手 えひめ高校野球 全国春90回・夏100回大会

<12>水口栄二 松山商1986年夏準優勝 打撃が急成長 最多安打

2018年7月17日(火)(愛媛新聞)

決勝の1回裏、松山商・中村包の左前適時打で生還する水口栄二(左)=1986年8月21日、甲子園

決勝の1回裏、松山商・中村包の左前適時打で生還する水口栄二(左)=1986年8月21日、甲子園

現在は子どもたちに野球の魅力を伝える水口栄二。「教えることで新たな発見がある」と語る=13日、兵庫県西宮市

現在は子どもたちに野球の魅力を伝える水口栄二。「教えることで新たな発見がある」と語る=13日、兵庫県西宮市

決勝の1回裏、松山商・中村包の左前適時打で生還する水口栄二(左)=1986年8月21日、甲子園

決勝の1回裏、松山商・中村包の左前適時打で生還する水口栄二(左)=1986年8月21日、甲子園

現在は子どもたちに野球の魅力を伝える水口栄二。「教えることで新たな発見がある」と語る=13日、兵庫県西宮市

現在は子どもたちに野球の魅力を伝える水口栄二。「教えることで新たな発見がある」と語る=13日、兵庫県西宮市

 夏将軍・松山商にあって「史上最弱」とまで言われたチームは、甲子園の大舞台に立った。1986年夏の全国選手権大会。決勝で天理(奈良)に2―3で敗れたが、単打でつなぐ野球で次々に強豪を撃破。主将の水口栄二(49)が記録した1大会通算個人安打数19は、今も最多記録タイだ。

 「『打てない、走れない、守れない』って、よう言うとった」。当時コーチだった沢田勝彦(61)=現北条高監督=の述懐によれば、後にプロ野球・近鉄とオリックスで活躍した経歴からは意外なほど評価は低かったという。チームとしても「最強」と言われた前年に比べ、見劣りしていた面もあった。

 ただ統率力は歴代主将に引けを取らなかった。夏に向けて鍛えていた冬の日のこと。ぼたん雪が降りだしたのに、熱気は下がらない。突然、水口がユニホームを脱ぎ捨て、上半身裸でノックを受け始めた。他の選手もすぐにそれに倣う。バットを握る監督の窪田欣也と沢田は顔を見合わせ「こっちも脱がんといかんかのう」。2人もやむなくボタンを外した。

 水口自身、「冬の練習は厳しかった」と振り返る。課題だった打撃では、逆方向に打つ練習を繰り返した結果、夏の直前に急成長。試合を通じて単打をつなぐ得点パターンが定着した。「甲子園なんて考えてなかったチーム」に重圧や力みはなく、聖地でも躍進を遂げた。

 水口も「安打よりも、出塁することだけを考えていた」と話す。準決勝の試合後、記者からあと1安打で個人最多記録更新と聞かされ「決勝の最初の打席だけ緊張した」と笑う。その打席で新記録を打ち立てたが、盗塁失敗やエラーがあり、チームもスクイズ失敗など逸機が続いた。結局、1点差で優勝を逃し「緻密さを失うと負けるという怖さを知った」と語る。

 「高校で全ての基本を学んだ」と語る水口。現役引退後の2013年、兵庫県西宮市郊外で小中学生対象の野球教室を開校。昨年、中学生の硬式野球チームをつくった際は、松山商時代の指導を手本にした。最初はなかなか勝てなかったが、6月の兵庫県大会を前に急成長。1試合ごとに強くなり、優勝を果たした。「同じように教えてみたら、僕らと同じ結果になった。不思議というか、面白いと思った」

 全国準優勝から32年。第100回の節目となる愛媛大会は、開幕直前に県内を襲った豪雨が各地に大きな爪痕を残す中で始まった。「一生懸命なプレーは感動を呼ぶ。見ている人が元気になったり、立ち直るきっかけになったりするようなプレーをしてほしい」。甲子園の歴史に名を刻んだ水口は、故郷の球児の奮闘を願っている。(敬称略)=おわり

 

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