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聖地を沸かせた名選手 えひめ高校野球 全国春90回・夏100回大会

<11>村上博昭 新居浜商1975年夏準優勝 熱投エース 快進撃呼ぶ

2018年7月15日(日)(愛媛新聞)

夏初出場準優勝の快進撃の要となった村上博昭

夏初出場準優勝の快進撃の要となった村上博昭

甲子園での熱戦を懐かしむ村上博昭=4月24日、新居浜市繁本町

甲子園での熱戦を懐かしむ村上博昭=4月24日、新居浜市繁本町

夏初出場準優勝の快進撃の要となった村上博昭

夏初出場準優勝の快進撃の要となった村上博昭

甲子園での熱戦を懐かしむ村上博昭=4月24日、新居浜市繁本町

甲子園での熱戦を懐かしむ村上博昭=4月24日、新居浜市繁本町

 1975年、炎熱の甲子園にドンデンドンと太鼓の重低音が響き渡った。アルプススタンドから内野席にまで広がった「そーりゃっ、そーりゃー」の大声援に後押しされ、鴨田勝雄率いる新居浜商は初めての夏で堂々の準優勝を遂げた。全試合に登板したエース村上博昭(61)=新居浜市宇高町2丁目=は「全国の高校球児の最後の一試合を、僕たちがやれた。うれしかったですね」と当時と変わらぬ穏やかな表情で語った。

 中学時代から注目された村上は、市立校だった新居浜商から熱心な誘いを受け進学を決意。「村上君と同じ高校に」と志願した選手が何人もいたほどだった。入学当日、市内の主力が集まった野球部を見た村上は確信する。「絶対、甲子園に行ける」。クラスの自己紹介では夢物語と笑われたが、3年の夏、確信は現実となる。

 後にプロ入りする片岡大蔵や続木敏之を擁する新居浜商は、北四国大会で西条を破り甲子園出場。2試合を1失点に抑える村上の力投で、初出場校で唯一、ベスト8に名乗りを上げた。

 世間を驚かせたのは強豪天理(奈良)を5―1で破った準々決勝。三振こそゼロだったが、村上は得意の変化球を低めに集めて内野ゴロの山を築き、天理を単打4本に抑えた。上尾(埼玉)との準決勝では初回から救援し、六回には三塁打を放つなど投打で活躍し、ファンを魅了した。

 「でもね」。淡々と振り返っていた村上が、ふと声のトーンを落とす。「決勝の最後の一球だけは、後悔しているんです」。

 決勝の相手は、現ヤクルト監督の小川淳司を擁する習志野(千葉)。3点を先取したが、五回に守備のミスで4失点。どうにか1点を追いつき、4―4で九回裏を迎えた。前日までの雨で、グラウンドは蒸し風呂状態。暑さと疲れで限界だった。しかも村上は2年の夏に肩を壊し、体中に100本の針を打って甲子園に臨んでいた。「もう投げられなくなってもいい。とにかくこの試合だけは―」。

 延長まであとアウト一つの2死一、三塁。1ストライクの後、捕手続木のサインは、外角へのボール球だった。ところが、外そうと思って投げた球は吸い込まれるように真ん中へ入り、ライトにはじき返された。「捕手のサインでみんな1球遊ぶと思っていた。まさかと思いますよね」。右翼手竹場和範のグラブはわずかに打球に届かず、チームはサヨナラ負けを喫した。

 それでも新居浜商ナインのはつらつとしたプレーは多くの人々の心を打った。同年秋の運動会には、新居浜駅から学校まで大名行列のように人が押し寄せ、村上の元には段ボール3箱分のファンレターが届いた。

 肩を壊してプロの道はあきらめたが、社会人になって始めた軟式野球で国体に出場。中学硬式野球チームの監督も務めた。「どの学校にも頑張ってほしいが、やっぱり地元から甲子園に行ってほしいね」。かつて地元を沸かせたエースは、あの熱狂の続きを待っている。(敬称略)

 

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