聖地を沸かせた名選手 えひめ高校野球 全国春90回・夏100回大会
<10>藤井秀悟 今治西1995年春4強 故障バネ プロでも活躍
2018年7月14日(土)(愛媛新聞)
1994年の秋季県大会から翌年の選抜大会にかけて、国内公式戦連続無失点記録は51イニング。四国大会決勝の高知戦では17奪三振を奪うなど「伊予の怪腕」と呼ばれた今治西の藤井秀悟(41)は、プロ野球・巨人の打撃投手として今もマウンドに立っている。
中学時代から注目された伊予市出身の左腕は、複数の強豪校から誘いがあった中、「文武両道」を掲げる今治西に入学した。甲子園出場は95年春。約2カ月前に阪神大震災があり、開催さえ危ぶまれた大会だった。
初戦、2戦目を一人で投げ抜き、準々決勝の相手は兵庫勢で唯一勝ち残っていた神港学園。藤井は「応援がすごくて、アウェー状態だった」と振り返る。ただ初戦の富山商戦で接戦をものにしたチームの状態は良く、八回まで3―2でリード。終盤も連続三振を奪うなど、勝利はすぐそこまで来ていた。
「あと残り1イニング」と投じた1球目、左肘から「ぶちっ」という音が聞こえたのを、藤井は今でも覚えている。経験のない痛みと怖さで力が入らず、無念の降板で一塁に回った。ここから大声援を受ける神港打線の安打が続いた。動揺を隠せない背番号1がスコアボードを見上げると、いつの間にか3―4になっていた。「気付いたら逆転。びっくりした」と苦笑する。
それでも今治西はここかから見事な反発力を見せる。内野安打などで2死三塁とし、打席は藤井。右腕だけで振ったバットが球をとらえ、左前に抜けた。執念の一打で延長に持ち込むとチームも落ち着いた。十三回に併殺を狙った相手の送球がそれて走者が返り、同校初の4強入りを決めた。
だが、これ以降「IMABARI」のユニホームを着た藤井がマウンドに上がることはなかった。準決勝で銚子商(千葉)に敗退。左前腕の肉離れと診断されたエースは夏になっても完治せず、愛媛大会は準決勝で敗れた。「不完全燃焼。3年の春から夏、高校の一番いいときに投げられなかった」
選抜大会で敗退した際、記者団に囲まれた藤井は「けがの経験を無駄にはしない」と誓った。その後の野球人生で何度もけがに苦しんだが、その都度復帰を遂げ、プロでは284試合に登板、83勝を挙げた。「今も投げる仕事ができているのは、勉強や生活にも気を配ることを学んだ高校時代の下地があったからだと思う」と言い切る。
今の球児に向けて「やってきたことを出し切ることが大事。勝っても負けても、出し切った結果として受け止められるように」と真剣な表情でメッセージを送った藤井。それから少し間を置き、野球少年のような笑顔でつぶやいた。「でもやっぱり、夏も出てみたかったな」(敬称略)