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聖地を沸かせた名選手 えひめ高校野球 全国春90回・夏100回大会

<9>鎌倉健 川之江2002年夏4強 スライダー 切れ味抜群

2018年7月13日(金)(愛媛新聞)

仲間と力を合わせて4強入りした全国選手権大会を振り返る鎌倉健=兵庫県小野市

仲間と力を合わせて4強入りした全国選手権大会を振り返る鎌倉健=兵庫県小野市

全国選手権大会初戦で先発し力投する川之江・鎌倉=2002年8月9日、甲子園(共同)

全国選手権大会初戦で先発し力投する川之江・鎌倉=2002年8月9日、甲子園(共同)

仲間と力を合わせて4強入りした全国選手権大会を振り返る鎌倉健=兵庫県小野市

仲間と力を合わせて4強入りした全国選手権大会を振り返る鎌倉健=兵庫県小野市

全国選手権大会初戦で先発し力投する川之江・鎌倉=2002年8月9日、甲子園(共同)

全国選手権大会初戦で先発し力投する川之江・鎌倉=2002年8月9日、甲子園(共同)

 189センチの長身から、ゆったりとしたサイドスローで投げ込まれる140キロ中盤の速球と切れ味抜群のスライダー。2002年夏の全国選手権大会で4強入りした川之江の原動力となったエース鎌倉健(33)=神戸市=は「終わってみればあっという間だった。いい指導者と仲間に恵まれた」と当時を懐かしむ。

 甲子園での5試合は、優勝候補の浦和学院(埼玉)をサヨナラで破るなど熱戦を演じた。その中で鎌倉がベストゲームとして挙げるのは、準々決勝の遊学館(石川)戦。先発した武村の後を引き継ぎ、3―2の六回から登板した鎌倉は、1人の走者も許さない完璧な投球で勝利に貢献した。「ピッチャーとして1点もやれない場面。ベスト4も懸かっていたので、負けたくない気持ちが強かった」と振り返る。

 入学当初、球速は120キロ前後で体の線も細かったが、監督の重沢和史(49)=現松山商監督=は「打たれてもストレートで勝負するなど負けん気が強く、ピッチャーらしい」と素質を見抜いていた。鎌倉の母親に食事管理を依頼し、野球ノートにメニューを書いて提出させるなど体づくりを徹底した。3年間で体重は20キロ近く増え、球速の大幅アップにもつながった。

 鎌倉は、重沢から「お前たちの代で甲子園に行こう」と言われたことが鮮明に残っているという。言葉通りに3年で甲子園に出場すると、「1回は校歌を歌おう」という目標を大きく上回るベスト4という結果を残した。チームの屋台骨だった鎌倉だが「僕一人の力じゃない。チームで助け合いながら、みんなでつかんだ甲子園だった」と周囲への感謝を語った。

 大会後、鎌倉は日本高校選抜メンバーに選ばれ米国遠征を経験した。9月の高知国体では、愛媛勢として21年ぶりの優勝を果たし「(高校の大会で)最後に負けずに終わることができたのは最高だった」。

 同年、ドラフト指名を受けプロ野球日本ハム入団。05年は先発で7勝したが、07年に現役引退した。現在は兵庫県内で野球スクールと少年硬式野球チーム「東加古川レッドアローズ」の小学部監督を務めている。指導者として「高校野球で学んだ礼儀やあいさつを大事に教えている」という。

 6月下旬、兵庫県小野市のグラウンドで打撃練習する選手にアドバイスを送る鎌倉の姿があった。「バットを振り上げてる」「もっと手前で打たんと」。心身ともに発達段階の小学生の指導には難しさを感じることもあるというが「チームから巣立ち、県内外の高校で主力として頑張っている選手もいることがうれしい」と充実感を語る。

 年末に帰省した際は、古里の四国中央市で小学生向けの野球教室を実施するなど、愛媛野球の活性化にも一翼を担っている。今年も予定が合えば、愛媛大会に臨む母校の応援に駆け付けるという鎌倉は「甲子園に行くのは本当に難しい。最後は勝ちたい気持ちの強い方が勝つ。ゲームセットまで、目の前の一球をぎらぎらさせて追い掛けてほしい」と後輩にエールを送った。(敬称略)

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