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聖地を沸かせた名選手 えひめ高校野球 全国春90回・夏100回大会

<6>今井康剛 松山商1996年夏優勝 ダメ押しの渾身二塁打

2018年7月8日(日)(愛媛新聞)

甲子園大会で力強い打撃をみせる今井康剛=1996年8月

甲子園大会で力強い打撃をみせる今井康剛=1996年8月

甲子園で放ったホームランボールを手に、当時を 懐かしむ今井康剛=6月13日、松山市和泉南4丁目

甲子園で放ったホームランボールを手に、当時を 懐かしむ今井康剛=6月13日、松山市和泉南4丁目

甲子園大会で力強い打撃をみせる今井康剛=1996年8月

甲子園大会で力強い打撃をみせる今井康剛=1996年8月

甲子園で放ったホームランボールを手に、当時を 懐かしむ今井康剛=6月13日、松山市和泉南4丁目

甲子園で放ったホームランボールを手に、当時を 懐かしむ今井康剛=6月13日、松山市和泉南4丁目

 身長170センチ、体重88キロのがっしりとした体格。「伊予のドカベン」の異名で活躍した今井康剛(40)=松山市北井門2丁目=は1996年夏、松山商主将として甲子園の土を踏み、今も語り継がれる「奇跡のバックホーム」で決勝を制した。劇的勝利から22年。あの夏を忘れることはない。

 バットを手にしたのは3歳。息子に野球をさせたかった父の影響だった。小学生時代は地元の硬式リトルリーグに所属。中学生になり、ボーイズリーグ「松山クラブ」で全国優勝を経験した。小中と腕を鳴らした結果、中学3年になると県内外から引く手あまた。ある私立高進学がほぼ決まったころ、当時の松山商監督から声が掛かった。魅力も欠点も洗いざらい話してくれた誠意に打たれ、進路変更を決意した。

 入学とともに監督は交代。沢田勝彦監督の下、礼儀作法から厳しく教え込まれた。2年になり、面倒見のいい親分肌を見込まれ主将に抜てき。95年夏と96年春に甲子園出場を果たす。「小さい時からの夢。やっぱり足が震えた」。今井は当時を思い返し、苦笑する。

 結果は惨敗。2季連続の初戦敗退だった。全国制覇に向け、夏はベスト4か8にと考えていた沢田監督は意気消沈。悔しかった。だが、今井には少し期待感もあった。というのも、中学時代の全国大会も2年連続初戦で敗れ、3年の夏に栄冠をつかんだからだ。

 96年、高校最後の夏。「ひょっとしたら」。全国切符をつかみ、中学時代に同じ経験をした仲間と冗談交じりに話した。初戦を突破し勝ち進むうち、それは現実味を帯びていった。

 迎えた熊本工との決勝。1点リードの九回裏、ピッチャー新田浩貴が2者連続三振を奪った。普段は緩急を付け、打たせて取るタイプ。このまま終わらないんじゃないか。今井は漠然とそう感じていた。不安は的中。同点本塁打を浴び、新田がマウンドに崩れ落ちた。「試合はまだ終わってない。何とかしのごう」。ぼうぜんとする後輩に駆け寄り、鼓舞した。

 そして、あの奇跡が起こる。熊本工に傾いていた流れは一気に逆転。「これでいける」。ふと、中学時代の決勝戦を思い出した。最後の打席でヒットを打ったが、得点にはつながらなかった。今度こそ―。延長十一回表、星加逸人のセーフティースクイズで勝ち越し、1死二、三塁でみせた渾身(こんしん)の二塁打。ダメ押しの2点を加え、文句なしの勝利を収めた。

 野球でつながった縁は、今も切れることはない。県外に出ると、「ここならあいつがいる」と会員制交流サイト(SNS)で連絡を取り合う。岩村明憲(宇和島東高出)をはじめ同世代とは年1回、思い出話に花を咲かせる。話題に上るのはやはり古里のことだ。「僕らの世代でもう一度盛り上げたい。僕らと少年チームとのチャリティー試合とかね」。愛媛の野球の底上げへ、今井は再び情熱をたぎらせている。(敬称略)

 

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