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聖地を沸かせた名選手 えひめ高校野球 全国春90回・夏100回大会

<5>明神毅 宇和島東1988年春優勝 息子が成長、また野球を

2018年7月6日(金)(愛媛新聞)

選抜大会決勝で中越え二塁打を放つ明神毅。5試合連続12安打で優勝に大きく貢献した=1988年4月5日、甲子園

選抜大会決勝で中越え二塁打を放つ明神毅。5試合連続12安打で優勝に大きく貢献した=1988年4月5日、甲子園

息子の影響で「また野球が好きになっている」と話す明神毅=宇治市

息子の影響で「また野球が好きになっている」と話す明神毅=宇治市

選抜大会決勝で中越え二塁打を放つ明神毅。5試合連続12安打で優勝に大きく貢献した=1988年4月5日、甲子園

選抜大会決勝で中越え二塁打を放つ明神毅。5試合連続12安打で優勝に大きく貢献した=1988年4月5日、甲子園

息子の影響で「また野球が好きになっている」と話す明神毅=宇治市

息子の影響で「また野球が好きになっている」と話す明神毅=宇治市

 「正直、野球をやり遂げたという実感はない」。1988年の選抜大会で初出場初優勝を成し遂げた宇和島東の主将で捕手の明神毅(47)=京都府宇治市=は意外な言葉を口にした。

 準々決勝の宇部商(山口)戦は、九回1死満塁から三遊間を破る殊勲の決勝打で逆転サヨナラ勝ち。東邦(愛知)との決勝も適時二塁打を放つなど打撃で大きく貢献したが、初戦の時から思った方向にボールを投げられなくなる「イップス」の症状が出始めていた。

 当時はエース小川洋への返球がワンバウンドする程度で「気にも留めていなかった」という。しかし同志社大学進学後、春先の練習からブルペン場で山なりの球を投げると屋根に当たることもあった。「加減ができない、ボールが抜ける、どこに投げるか分からない」と、投げる行為自体に重圧を感じるようになっていった。

 当時のチームでは唯一の捕手で代わりはいなかった。盗塁を許し、リードも配球も考えられない状況に陥ると、試合では心ないヤジが飛んできたが、気にする余裕もなく「捕った球を投手に返すだけで精いっぱいだった」。

 同期には、後にプロに進んだ宮本慎也(現ヤクルトヘッドコーチ)や片岡篤史(現阪神ヘッドコーチ)らがおり、2年時には明治神宮大会で優勝を果たした。そんな仲間たちの活躍を横目に「チームに迷惑をかけているという思いがどんどん大きくなっていった」。イップスを乗り越えようとさまざまな方法を試したが一時的に症状が改善しても、すぐに元に戻る日々が続いた。

 転機となったのは3年生の春。捕手ができる新入生が入部したことでレギュラーの座を譲った。「悔いは残る。でも自分で決断してからは全て吹き飛んでいった」。試合には指名打者で出場し、コーチとして後輩を指導するなどサポート役としてチームを支えた。

 卒業後は京都三菱自動車販売(京都市)に入社。営業マンとして10年以上働き、現在は宇治市の店で店長を務める。高校時代の経験は仕事にも役立っているという。「上甲(正典)監督は『相手の気持ちをくみ取れ』とよく言っていた」と顧客や部下と接する際には、恩師の教えを生かし働きやすい職場づくりに励む。

 野球からは長く離れていたが、小学2年の長男が昨春から地元の少年チームで野球を始め、明神も月1、2回、子どもたちに教えるようになった。何より楽しみなのは息子とのキャッチボール。「まだバッティングは教えないでおこうかなどと考えて、また野球が好きになってきている。ひょっとしてイップスも治ったんじゃないかな」と声を弾ませた。(敬称略)

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