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聖地を沸かせた名選手 えひめ高校野球 全国春90回・夏100回大会

<4>井上明 松山商1969年夏優勝 延長18回 窮地乗り越え

2018年7月4日(水)(愛媛新聞)

決勝戦で三沢の打者を相手に18回を見事に投げ抜き、棒のようになった腕を示す松山商・井上=1969年8月18日、甲子園球場

決勝戦で三沢の打者を相手に18回を見事に投げ抜き、棒のようになった腕を示す松山商・井上=1969年8月18日、甲子園球場

 「お互い、点を取られないようにな―」。49年前の夏の甲子園大会決勝、スコアボードには2列の0が並んでいく。力投する松山商のエース井上明の意識の先には、三沢(青森)の投手太田幸司がいた。勝ちたい気持ちと同時に、尊敬の念も抱いていた。

 それまでの道のりは複雑だった。厳しい練習で体重が激減。腰痛で1カ月も療養に費やしたこともあった。50回の記念大会だった高校2年の夏、聖地のマウンドに立ったが「松商のエース」の重圧に嫌気が差し、自ら遊撃手に転向した。

 翌春以降、背番号1を引き継いだ中村哲が故障。監督の一色俊作は井上をマウンドに戻す決断をする。夏の県予選まで3カ月を切っていたが、内野の練習で手首の使い方が向上。細かな状況を想定した投球練習でコーナーに出し入れする制球を身に付け、北四国大会では好投手との投げ合いを制し、手応えをつかんだ。

 井上は「いつも相手の投手がいいと気持ちが入る。相手がいまいちだとこっちもだめだった」と振り返る。この性格が、後に語り草となる一戦を生む。

 総合力で決勝まで勝ち進んだ松山商。初回から好調に飛ばした井上に対し、太田は中盤以降に直球の伸びが増した。双方得点を許さない。毎日300球くらいは投げていたという井上も、想定外の延長戦に疲労の色が隠せなくなった。

 十五回裏、最大のピンチに見舞われる。1死満塁カウント0―3。歓声と沈黙に「球場が二分された」(井上)状況の中、何とかフルカウントに持ち込んだが、6球目をはじき返された。ボールは井上のグラブに当たり、不規則に転がった。井上の代わりに遊撃手に転向した樋野和寿が瞬時に追いつき、本塁で刺殺。十六回も満塁のピンチを迎えたが、スリーバントスクイズを見抜いて抑えた。

 井上は、延長戦のさなかに流れたアナウンスで、十八回までで再試合になることを初めて知った。4時間16分も続いた死闘。「今日は負けなかったな。また明日だな」。疲れ果て、ほかに何も考えられなかった。

 翌日の再試合は一転、初回に樋野が本塁打を放つ。井上は中村と交代しながらマウンドに立ち、4―2で決着した。

 あの延長十五回の極限の心理状態は、半世紀たっても「時々夢で見てうなされる」と明かす。しかし高校野球への思いは消えず、大学卒業後は新聞社の運動記者としてずっと高校野球に携わった。67歳になった井上は今夏、愛媛大会の始球式に臨む。今も変わらず続く高校野球への感慨は深い。「優勝した51回大会は100回に向けた『次への一歩』だった。今大会も、次世代につなぐ大会にしないといけない」

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