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聖地を沸かせた名選手 えひめ高校野球 全国春90回・夏100回大会

<3>金子哲夫 西条1959年夏優勝 エース 投げ抜いた15回

2018年7月2日(月)(愛媛新聞)

夏に全国制覇し、プロ入りした金子哲夫(本人提供)

夏に全国制覇し、プロ入りした金子哲夫(本人提供)

「甲子園では毎年全チームの試合を見る」と、夏を楽しみにする金子哲夫=4月26日、今治市北日吉町3丁目

「甲子園では毎年全チームの試合を見る」と、夏を楽しみにする金子哲夫=4月26日、今治市北日吉町3丁目

夏に全国制覇し、プロ入りした金子哲夫(本人提供)

夏に全国制覇し、プロ入りした金子哲夫(本人提供)

「甲子園では毎年全チームの試合を見る」と、夏を楽しみにする金子哲夫=4月26日、今治市北日吉町3丁目

「甲子園では毎年全チームの試合を見る」と、夏を楽しみにする金子哲夫=4月26日、今治市北日吉町3丁目

 夏の大会が始まるころになると、何冊にもわたるアルバムやスクラップ帳をめくる。「甲子園は高校球児みんなの憧れの場所やったんやなあと、今になって思うね」。西条のエースとして1959年夏の大会を制し、後にプロ野球阪神入りした金子哲夫(76)=今治市北日吉町3丁目=は思い出が詰まった写真や新聞記事を懐かしく見返した。

 「中学時代から負けなし。全ての大会で優勝してきた」という猛者は、高校野球界でも大暴れした。59年春の県大会では、小松との2回戦で19三振を奪い県高校最多をマーク。西条は準決勝までの5試合を完封し、決勝の四回まで連続43イニング無失点。これも当時の県最多記録となった。

 若き名将、矢野祐弘のもと、西条は堂々の戦いぶりで甲子園出場を果たす。宿敵の平安(京都)、八尾(大阪)を破り、迎えた宇都宮工(栃木)との決勝。そこにドラマが待っていた。

 2-2のまま延長にもつれ込む大接戦。宇都宮工の左腕、大井道夫=現日本文理(新潟)総監督=と金子は五回以降、スコアボードに0を並べ続けた。そして当時の甲子園決勝の最長記録となった十五回表、西条打線が爆発。長井征一の決勝打などで一挙6点を奪い、初優勝を遂げた。「無我夢中で投げた。これ以上の喜びはない」。5試合を完投し限界が近かった金子は、グラウンドで泣きじゃくった。

 プロや全盛期の社会人野球から引く手あまたの中、卒業後は大阪タイガース(現阪神)に入団。ただ矢野監督からは「お前の(小柄な)体格じゃ通用せん。野手には好かれるかもな」と言われたという。その読みは的中した。1年目から1軍でベンチ入りしたが、試合前のバッティング練習要員だった。「練習が終われば肩を冷やして、試合を見るだけよ」。投手王国と言われていた阪神。しかも当時は先発完投が当たり前で、ベンチの金子に声がかかることはなかった。

 2年目には2軍で勝率1位と防御率1位のタイトルを獲得したが、リリーフばかりで先発起用はされなかった。1軍ベンチと2軍を行ったり来たりして4年が過ぎたころ。「自分では無理や。野球はやめます」と球団に告げた。打撃投手として残ってほしいと野手に引き留められたが「プライドがあった。矢野監督は先を読んどった」と語る。

 地元に戻ったヒーローを母校の監督に迎え入れようとの声もあったが、元プロ選手は監督になれない規定があり断念。造船関係などの職に就き、夜は今治市でスナック「甲子園」を営んだこともあると明かす。

 76歳で1人暮らし。現役時代の賞状やトロフィーが並ぶ居間で、今年も高校野球中継を楽しみに見る。「自分は高校で悔いなく野球ができた。今の子たちにも、けがせんように、悔いのないように野球をやってほしい」と目を細めた。

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