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聖地を沸かせた名将 えひめ高校野球 全国春90回・夏100回大会

<8>沢田勝彦 松山商1996年夏優勝 基本徹底「奇跡」起こす

2018年6月5日(火)(愛媛新聞)

名勝負として語り継がれる1996年夏の甲子園大会決勝を振り返る沢田勝彦=5月23日、松山市北条辻

名勝負として語り継がれる1996年夏の甲子園大会決勝を振り返る沢田勝彦=5月23日、松山市北条辻

 「冗談やない、勘弁してやと思った」。松山商出身の沢田勝彦(61)は、大学卒業を控え、都内の信用金庫への就職が決まっていたころ、母校の関係者から「コーチとして戻ってほしい」と要請を受けた。

 高校時代の同期に、後にプロで活躍する西本聖がいた。だが周囲の期待に反し、夏の県予選準々決勝で敗退。怒ったファンが球場出口に押しかけ、監督の一色俊作や選手は控室に閉じ込められた。その年、一色は辞任。伝統校の影響力の強さを間近に見てきただけに、即答はできなかった。

 一方で、母校の状況は常に気に掛けていた。一色が退いた後、松山商は1、2年ごとに監督が代わった。帰省時に練習を見に行くと、選手が野球に集中できていないのが分かり、かわいそうだと感じていた。迷った末、「指導者として日本一を目指すのもいいじゃないか」と腹をくくった。

 コーチ時代の1986年夏に甲子園で準優勝を経験。10年後、今度は監督として再び聖地で決勝の舞台に立った。「奇跡のバックホーム」として語り継がれる熊本工との激戦。勝利の鍵となったのは延長十回、1死満塁のピンチで交代出場した右翼手・矢野勝嗣の好送球と、十一回の星加逸人のセーフティースクイズによる勝ち越し。采配の真意を聞かれるたび、沢田は胸を張った。「何度も何度も練習したプレー。自信を持って送り出した」

 矢野は当時、山なりの遠投しかできなかったが、懸命に練習に取り組んでいたという。沢田は一度だけ、こんな指示を出した。「基本はカットマンへのライナー送球。ただサヨナラの場面ならそんな送球でもいい」。それを覚えていた矢野が、見事なダイレクト返球でタッチアップした走者を刺した。

 星加は送りバントが苦手だった。いつか必要な場面がくると考えた沢田はある日、一、三塁のチャンスを想定したスクイズの練習を星加に命じた。球を転がすだけの動作を、朝から晩まで3日間やり通したことが大一番で実った。

 劇的な試合で頂点をつかんだ原動力は「奇跡」ではなく、徹底した基本練習とチームの絆。沢田はしみじみと語る。「選手との信頼は、普段の練習の積み重ねによって培われるものだ」

 現代の球児の指導に求められる要素として、より高度な技術習得の重要性を指摘する。「子どもの気質は変わり、情報化が進んだ。技術の指導力を磨かないと、チームの統率はできない」。約40年にわたり、愛媛の高校野球界に貢献してきたベテラン監督の向上心は衰えを知らない。=おわり

 

 【さわだ・かつひこ】1957年、松山市生まれ。松山商、駒大では捕手を務めた。80年に松山商コーチ、88年に監督に就任。甲子園大会に春夏通算6度出場、96年夏の決勝で延長十一回の激戦を制し27年ぶりの全国制覇に導く。2009年に監督を辞任し10年から北条監督を務める。

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