ログイン
Myページ
Myページ

愛媛新聞ONLINE

2018
922日()

ログイン
Myページ
愛顔会員Myページ
MENU

聖地を沸かせた名将 えひめ高校野球 全国春90回・夏100回大会

<7>上甲正典 宇和島東1988年春・済美2004年春優勝 スマイル 選手に力添え

2018年6月4日(月)(愛媛新聞)

宇和島東が初出場した1988年の選抜大会の期間中、主将の明神毅(左)を励ます上甲正典

宇和島東が初出場した1988年の選抜大会の期間中、主将の明神毅(左)を励ます上甲正典

 失敗しても笑顔で選手をベンチへ迎え入れ、送り出す。上甲正典のトレードマーク「上甲スマイル」が誕生したのは、宇和島東を率いて選抜大会に初出場した1988年だった。

 きっかけは強豪箕島(和歌山)を率いた名将尾藤公の「尾藤スマイル」の影響だったという。それが選抜の舞台を通して全国に知られるようになった。OBの小川洋(47)=宇和島市保田=は「あの大会以降、いろんな監督が笑顔になったのは間違いない」と語る。

 上甲は82年に監督に就任。ノックやバッティングピッチャー、投球練習のキャッチャーまでこなし、厳しい練習を課しながらも常に選手と同じ目線で向き合った。主将だった明神毅(47)=京都府宇治市=は「ナインの一員として一緒にプレーしているような雰囲気だった」と振り返る。

 迎えた選抜大会。最初に上甲の笑顔を見た時は「戸惑った」と小川。実のところ「心中は全くの反対」(上甲)と穏やかでなかったが、小川は「ベンチに帰るとき、笑顔の監督を見てリラックスできた」。スマイル効果でナインは普段通りの力を発揮。決勝は10安打と「牛鬼打線」が爆発し初陣で全国制覇を飾った上甲は「やっと大関になった」と喜びを表現した。

 上甲の監督人生2度目のハイライトは2004年に訪れた。02年に野球部が新設された済美の監督に就任すると、熟練の手腕で打撃力を生かしたチームづくりを進め、創部わずか2年で選抜切符を獲得。2年生エース福井優也(現広島)、強打者・鵜久森淳志(現ヤクルト)らを擁し全国の強豪校を次々と打破し、監督として2度目の初出場Vを成し遂げた。

 「選手の思いに指導者は応えないといけない」。上甲の下でコーチを務めた中矢太(43)=現済美監督=は上甲の言葉を今でも覚えている。「あれほど強烈な監督は今後出ないのではないか」と、存在感の大きさに思いをはせた。

 30年以上の監督生活で、上甲は県人初のメジャーリーガーとなった岩村明憲(現・独立リーグ福島ホープス監督)ら10選手をプロ野球へ送り出した。晩年に指導を受けた安楽智大(楽天)は「愛媛から甲子園に行き、ドラフト1位指名の夢をかなえるには上甲監督しかいないと思った」と明かし「プロで活躍することが恩返しになる」とさらなる飛躍を誓う。

 県内の各校では、多くの教え子が指導者として携わり、「野球王国」活性化に尽力している。甲子園通算25勝の名監督は、その笑顔とともに愛媛野球に大きな足跡を残した。

 

 じょうこう・まさのり 1947年、宇和島市生まれ。宇和島東、龍谷大卒。82年に宇和島東監督、2002年に済美監督に就任し、両校を全国制覇に導く。甲子園の通算成績は25勝15敗。平井正史(オリックス投手コーチ)、橋本将(元ロッテ)らプロ野球選手を10人輩出した。14年、67歳で死去。

 

    おすすめ記事

    愛媛の情報なら、愛媛新聞のアプリ。

    欲しい情報をいつでもあなたにお届け!プッシュ通知機能も充実。