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聖地を沸かせた名将 えひめ高校野球 全国春90回・夏100回大会

<3>森茂雄 松山商1935年夏優勝 「常に温顔」で夏初制覇

2018年5月31日(木)(愛媛新聞)

1935年に松山商を夏の甲子園大会初優勝に導いた森茂雄(森康雄さん所蔵、県生涯学習センター提供)

1935年に松山商を夏の甲子園大会初優勝に導いた森茂雄(森康雄さん所蔵、県生涯学習センター提供)

 厳暑や強敵にめげず、粘り強い戦いで勝ち上がる松山商は「夏将軍」と呼ばれるようになった。その原点は、夏の全国中等学校優勝野球大会を初制覇した1935年の第21回大会だろう。采配を振ったのは、29歳のOB森茂雄。同年の春に指導者として帰郷したばかりだった。

 松山市出身の森は松山商、早大で主軸の内野手として活躍。35年は後にプロで活躍する伊賀上潤伍、千葉茂、筒井良武らを擁し、準々決勝で恩師の近藤兵太郎率いる嘉義農林(台湾)を延長の激闘の末に下すと、そのまま頂点を極めた。

 当時のマネジャー村上修逸は松山商野球部70年史に寄せた手記で「常に温顔で接され、早稲田式コーチは選手に心から尊敬を受け、苦しい練習のうちにも明るさを失わせないものがあった」と記している。「優しい性格で、何か強制されるようなことはなかった」という長男の康雄(84)=東京都中央区=の述懐からも、厳しく統率する鬼軍曹ではなく、穏やかな表情で見守る姿が浮かぶ。

 家で野球の話はしなかった。ただ夏になると「松商、勝ってほしいな」と気にかけていたという。森はその後、プロ野球の監督や球団代表などを歴任。71歳で亡くなる直前に野球殿堂入りを果たす。康雄は「学生野球が長かったから『若い力を伸ばしたい』という思いはずっと持っていたと思う」と思いをはせた。

 ただ息子たちには野球を強制せず、誰も野球の道には進まなかった。「今思えば、寂しかったでしょうね。野球が好きだったから」と康雄は笑う。

 優勝メンバーの伊賀上潤伍の長男典久(66)=松前町大間=は、父とたびたび見に行った松山商の練習風景を今も鮮明に覚えている。グラウンドにいる全員が目を輝かせて白球を追う姿は強い印象を残した。「高校生も指導者もおやじらOBも、ただ野球が好きなだけ。損得感情や悲壮感など全くない世界だった」

 潤伍も生前「水も飲めなかったし、電車で通学しながらの練習はきつかった。でも好きな野球ができて楽しかった」と懐かしんでいたという。

 全員が野球に打ち込んだ結果として得た栄冠。野球を愛した青年監督の思いは後輩に受け継がれ、松山商は夏の甲子園で愛媛勢最多の計5度の優勝(松山東時代含む)を果たす強豪校として全国に名をはせた。

 

【もり・しげお】1906年、松山市生まれ。松山商で遊撃手として甲子園に出場、進学した早大で主将として東京六大学リーグ優勝に貢献した。35年に松山商監督となり夏の甲子園大会で優勝し、翌年に大阪タイガース初代監督に就任。戦後は早大や大洋ホエールズの監督、大洋球団代表などを歴任。77年2月に野球殿堂入りした。

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