ログイン
Myページ
Myページ

愛媛新聞ONLINE

2018
926日()

ログイン
Myページ
愛顔会員Myページ
MENU

球春の軌跡 県勢のセンバツ史

<4>新田 初出場準V 楽しむ野球 ミラクル

2018年3月16日(金)(愛媛新聞)

第62回選抜高校野球大会準決勝で8回裏、新田の宮下典明(中央)が同点の2点本塁打を放ち、ベンチで大喜びするナイン=1990年4月3日、甲子園

第62回選抜高校野球大会準決勝で8回裏、新田の宮下典明(中央)が同点の2点本塁打を放ち、ベンチで大喜びするナイン=1990年4月3日、甲子園

 1990年5月、日本高野連は全国の高野連に高校野球部による中学生の勧誘を禁止する通達を出した。他県から選手を入学させる「野球留学」が全国的に活発化。同年の選抜大会では複数の出場校でメンバーの半数以上が県外選手だったことから、大会後に衆院文教委員会でも取り上げられるなど是非が議論された。

 この年、「ミラクル新田」と呼ばれる劇的試合で初出場ながら準優勝した新田も部員の3分の1近くが県外出身だった。かつて松山商を全国制覇に導いた監督の一色俊作は「待っているだけでは好素材は集まらない。松山商の上を目指すならスカウトはやむを得ない」と関西圏からの呼び込みを積極的に進め、野球留学生と地元選手をマッチさせたサラブレッド集団に仕立てた。

 「鬼の一色監督と恐れられたのは昔のことで、今は仏の一色さん」。当時の関係者が表現した通り、一色は「時代の流れで厳しさだけではいけない」と従来の猛練習に裏打ちされた守り一辺倒から脱却、守備と打撃に充てる時間を対等にしたという。野球は楽しむものと割り切り、エアロビクスなども練習に採用した。

 「伸び伸びとやらせてもらったし、もしかしたら実力以上のものが出せたのかもしれない」。大一番で一躍ヒーローとなった池田幸徳(45)=松山市三番町4丁目=は、甲子園で演じた「最高のドラマ」を振り返った。

 2回戦の日大藤沢(神奈川)戦。1―4の九回、1死一、二塁から堀内勝也のヒットで1点を返した後、4番宮下典明が強振した初球はバックスクリーン左に飛び込む特大の逆転サヨナラ3ランとなった。北陽(大阪)との準決勝は延長十七回、先頭の池田がカウント1―1から真ん中ストレートを左翼席に放り込むサヨナラ本塁打で熱闘に終止符を打った。

 鮮烈な準Vを飾った新田が、勢いそのままに90年代の愛媛野球の勢力図を塗り替えるかと思われたが、そこに松山商、宇和島東、今治西の公立勢が立ちはだかった。

 なかでも今治西は春の選抜大会で95、99年の2度ベスト4入りするなど存在感を放った。阪神大震災直後に開催された95年の第67回大会は、後にヤクルトなどで活躍したエースで主将の藤井秀悟が全国の強豪に堂々と渡り合った。一方の99年は3投手が継投し、初戦で延長戦を制するなど粘り強く勝ち進んだ。藤井というスターが引っ張った4年前と比較し、監督の宇佐美秀文は「今回は普通の高校生チーム」と評した上で「高校生の持つ可能性を感じる」とナインの成長をたたえた。

 4強となった2大会ともに今治西のベンチ入りメンバーは全員が県内選手。私学を中心にエリート化に傾く高校球界の流れの中、伝統校にも意地があった。

 

    おすすめ記事

    発信!高校生記者

    連載

    愛媛の情報なら、愛媛新聞のアプリ。

    欲しい情報をいつでもあなたにお届け!プッシュ通知機能も充実。