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球春の軌跡 県勢のセンバツ史

<3>宇和島東 初出場優勝 「牛鬼打線」で快進撃

2018年3月15日(木)(愛媛新聞)

第60回選抜高校野球大会準決勝で延長16回、勝ち越しの二塁打を放つ宇和島東の宮崎敦行=1988年4月4日、甲子園

第60回選抜高校野球大会準決勝で延長16回、勝ち越しの二塁打を放つ宇和島東の宮崎敦行=1988年4月4日、甲子園

 「もう30年前か」。宇和島東が「牛鬼打線」で初出場初優勝を果たした1988年春の選抜大会。主将を務めた明神毅(47)=京都府宇治市=は、愛媛勢として56年ぶりの快挙を伝える当時の愛媛新聞紙面に感慨深げに見入った。

 80年代は「KKコンビ」として甲子園を沸かせたPL学園(大阪)の桑田真澄、清原和博ら後にプロで活躍する超高校級のプレーヤーがしのぎを削った。74年に導入された金属バットの影響で戦い方も大きく変化し、「打」が看板のチームが全国的に台頭していた。

 この時代に愛媛勢は四国大会で思うような結果が残せず、80年から3年連続で選抜大会出場を逃した。一方で隣県勢の活躍は目覚ましく、80年に高知商、83年は池田(徳島)、85年は伊野商(高知)が選抜で優勝。蔦文也監督率いる池田は「やまびこ打線」を武器に86年にも頂点に立った。

 阪急と南海が相次いで身売りするなどプロ球界が激動した88年、愛媛代表が久々に満開の花を咲かせた。南予勢では10年ぶりに選抜大会に出場した宇和島東が、監督の上甲正典の下、初陣で見事に日本一を飾った。その陰には、全国の壁に阻まれた苦い経験と、時代に即した練習法の導入などチームの不断の努力があった。

 宇和島東は、初の甲子園に挑んだ87年夏の初戦で一関商工(岩手)に0―3で完封負け。エースだった小川洋(47)=宇和島市保田=は「今まで県内で見たこともないボールの配球、投球術だった。全国のピッチャーを肌で感じた」と振り返る。

 新チームの課題は明確だった。ボート部の器具を利用したトレーニングを取り入れ、練習後も市内のジムに連日通い詰めるなど全国で通用する徹底した打撃力向上を図った。その合間に上甲は、時代の潮流をつかんでいた池田の蔦、PL学園の中村順司の名将2人から選手の養成法を学び、指導に反映させたという。

 迎えた88年の選抜大会は、初戦から毎試合2桁安打の猛打で快進撃を続けた。準決勝では延長十六回の激戦を制し、迎えた決勝は強豪・東邦(愛知)相手に集中打を浴びせ6―0で完封勝ちした。「決勝も良い投手だったが、いつでも点を取れる自信はあった」と明神。小川は「大会を通して、うちより良い打線はなかったと思うし、自分は練習でその打線に育てられたから投げ切れた」と、全国トップレベルに鍛えられたバッティングを誇った。

 初優勝をきっかけに90年代は宇和島東が愛媛野球を席巻。特に93、94年には春夏の代表の座を独占し、平井正史、橋本将、宮出隆自らプロ選手を複数送り出す強豪校として名をはせた。

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