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新たな伝統へ 松山聖陵 春の甲子園初出場

<上>人間力 生活態度、見つめ直す 「勝利への執念」を育む

2018年2月1日(木)(愛媛新聞)

初の選抜大会出場を決め、喜ぶ松山聖陵ナイン=1月26日、松山市久万ノ台

初の選抜大会出場を決め、喜ぶ松山聖陵ナイン=1月26日、松山市久万ノ台

 創部約50年の歴史で、松山聖陵は、高校野球ファンや関係者から「ダークホース」「有力校」などと一目置かれる代がしばしばあった。秋季四国大会は4度出場、夏は2002年に県大会決勝に進んだ実績がある。

 だが甲子園とは長年縁がなかった。1981年秋は県ベスト4に入りながら翌夏に初戦敗退。当時の選手で野球部OB会の前田幸三会長(54)=松山市南高井町=は「自信があったし練習も真剣にやった。でも私生活は隙だらけだった」と振り返る。ここ一番に弱かったのは「心が未熟だった」。それがチームの「伝統」だった。

 野球は人間力―。荷川取秀明監督は大学を卒業し赴任した2004年から、身だしなみなど生活態度について細かく指導してきた。「思いやり」「目配り気配り」が必要だと口酸っぱく説き、一時監督を退いたときもあったが、信念を曲げず、選手と向き合い続けた。

 監督再就任後の12年、周囲が「聖陵野球部が変わった」という試合が訪れる。夏の選手権愛媛大会の3回戦、済美戦だ。5点を追う九回表2死走者なしから同点に追いついた。直後にサヨナラ負けしたものの荷川取監督は「勝利への執念が宿っていた」と当時のナインを評する。敗戦にも保護者からは「人として立派に育ててもらった」と言われた。

 その4年後の16年には、教えが結実した。夏の県大会で頂点に立ち、春夏通じて初の甲子園出場を果たした。当時の主将、稲葉智也さん(19)=桐蔭横浜大1年=は勝因を「生活の基本から見つめ直したこと」と語った。大きな声であいさつ、落ちているごみを拾うなど当たり前のことから細部にまで常に目を配った日々に、野球の神様がほほえんだ。

 現チームの2年生もまた、甲子園に出た先輩の背中を見て追いかけ、再び全国切符をつかんだ。新たな伝統は継承され、強さとして残っている。

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