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ゴールが切り開く道 小笠原侑生、タイでの戦い

<上>未知の国へ テスト試合 猛然PR

2018年1月5日(金)(愛媛新聞)

タイでの活躍や苦労について語る小笠原侑生=2017年12月20日、松山市

タイでの活躍や苦労について語る小笠原侑生=2017年12月20日、松山市

 夢だったJリーガーとしてのキャリアは、突然断たれた。14年7月、J2長崎が小笠原との契約解除を発表した。当時26歳。選手としての充実期に所属先を失った。サポーターにあいさつすると、涙が浮かんだという。チームを離れる寂しさだけではない。将来への不安がこみ上げていた。

 小笠原は愛媛FCの下部組織で育ち、得点力を武器に頭角を現した。11年にFWとしてトップチームに入団したが、2季で目立った活躍ができないまま長崎へ移籍。長崎1年目は献身的に走り回るプレースタイルで定位置を確保したが、故障もあり翌年から徐々に出場機会を失っていた。

 収入がゼロになった。妻のおなかには、新しい命が宿っている。「崖っぷちどころじゃない。崖の底」。追い込まれた中で下した決断は、サッカー成長国のタイに渡ることだった。経済発展に伴い、プロリーグの人気も高まっていた。日本を含む各国から、助っ人外国人が押し寄せていた。

 あてはなかったが、日本人監督に頼み込み、何とか2部クラブに練習生として潜り込んだ。だが、事態は動かない。展望も契約のオファーもないまま3カ月が過ぎた。蓄えだけが減っていく。1部クラブとの練習試合で1得点1アシストの結果を残して一瞬注目を集めたが、「タイでの実績のなさがネックになった」と声は掛からなかった。

 最後のチャンスは「1枠だけ」という別の2部クラブの入団テストだった。欧州の名門から流れてきた選手や、中東で年代別代表の経験がある選手。「50人ほどいた」という挑戦者の中に、日本の2部で居場所をなくした若者がぽつんといた。

 「とにかく俺を見てくれ」。「書類審査」で勝ち目はない。ただのランニングで、猛然と飛ばして目立とうとした。「全力でぶっちぎった。何でもいいから目を向けてくれという気持ちだった」

 テストの試合が始まると、経歴の目立つ選手に狙いを定めて競り合う。「試合の中身は関係なかった」と小笠原は言う。「とにかく必死。そんな様子を見た通りに評価してくれたんだと思う」。日本を離れて約半年。15年から2部のナコンパトム・ユナイテッドでプレーすることが、ようやく決まった。

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