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国体 愛媛勢の歩み

<4>1980~95年 弓道 史上初総合4連覇

2016年12月22日(木)(愛媛新聞)

1988年京都国体の少年女子近的で優勝した愛媛チーム

1988年京都国体の少年女子近的で優勝した愛媛チーム

 

1988年京都国体の少年女子近的で優勝した愛媛チーム

1988年京都国体の少年女子近的で優勝した愛媛チーム

 

 1980年代は、愛媛を主会場に四国で開かれた全国高校総体、いわゆる「55総体」(80=昭和55=年開催)で幕を開けた。同年の国体は強化した高校生らが活躍し、天皇杯(男女総合)順位は前年の38位から24位に躍進した。

 「V字回復」もつかの間、翌81年には45位と急落。その後も、40位前後と低迷し、86年と95年は過去最低の46位。元県体協事務局専門員の田中安男さん(68)は「暗い時代だった」と振り返った。

 田中さんは、実業団チームの弱体化などでお家芸のボートをはじめ得点を稼げる団体競技が振るわなかったと分析。さらに、当時は天皇杯獲得を狙う開催県が組み合わせを決める権利を持ち、レベルが低いとみられた四国代表は初戦で対戦することが多かった点も要因に挙げた。93年には徳島・香川で東四国国体があり、強化が進む2県に押されたこともあった。

 76年から高校野球が天皇杯得点に加算されない公開競技となり、「野球王国」には痛手だった。81年は硬式・軟式がそろって優勝したにもかかわらず、天皇杯45位は皮肉だった。

 長期低迷に各競技団体や県体協も手をこまねいていたわけではなかった。

 84年から「21世紀のスポーツを考える会」という各競技の若い指導者を集めた勉強会を開き、垣根を越えて知恵を絞った。95年には、翌年からの国体監督・コーチに対し、全国的には珍しい資格制度を導入を決定。他県の有能な指導者を招いて講習会をするなど県内の指導者のレベルアップを図った。県ライフル射撃協会の松本洋一副理事長(56)は「栄養学やトレーニング方法などを学べた。専門的な知識を得ることができてよかった」と振り返る。

 不振の県勢にあって弓道が存在感を見せた。87~90年に国体弓道史上初の男女総合4連覇の金字塔を打ち立てた。「連覇のときは王者としてのプライドを持って臨んでいた」という元県弓道連盟会長の住田知秀さん(66)は、強さの理由を松山市の中心部に県営弓道場があったことを挙げ「夜遅くまで練習に打ち込める環境があった。高校生も学校で毎週末のように練習試合をし、自然と強化につながった」と明かした。

 90年は3種別6種目しか国体に出場できなかったが、成年女子一部遠的の優勝をはじめ、2位が二つ、4位が一つと各種別で奮闘。さらに成年女子一部の近的で決勝まで進んで総合4連覇の「偉業」を達成。最後の試合は北海道に敗れたものの11―11で勝負がつかず、競射12回の大接戦を演じた。計4試合分の矢を放ち「観客の間から『優劣をつけるのは残酷』の声も聞かれる内容」(当時の愛媛新聞)の歴史的名勝負だった。他県に愛媛弓道陣の粘り強さを知らしめ、「王国」の名を高めた大会だった。

 

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