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国体 愛媛勢の歩み

<2>1960年代 「お家芸」隆盛 成績安定

2016年12月20日(火)(愛媛新聞)

1961年の秋田国体ソフトボール高校女子で、優勝の瞬間泣きながら喜び合う今治明徳ナイン

1961年の秋田国体ソフトボール高校女子で、優勝の瞬間泣きながら喜び合う今治明徳ナイン

 

1961年の秋田国体ソフトボール高校女子で、優勝の瞬間泣きながら喜び合う今治明徳ナイン

1961年の秋田国体ソフトボール高校女子で、優勝の瞬間泣きながら喜び合う今治明徳ナイン

 

 東京五輪を挟み、全国的にスポーツに対する関心が高まった1960年代。愛媛勢は「お家芸」と呼ばれる競技が隆盛を誇った。

 ボートは、10年間で競技別総合成績3位以内が5回とめざましい活躍だった。

 高校男子のメイン種目であるフィックスは、宇和島東が優勝4回、準優勝1回、今治南が準優勝1回など活躍。女子もナックルで高校の松山東が優勝1回、宇和島東が準優勝2回、一般の東洋紡今治もタイトルを手にした。一般男子フィックスも今治南高艇友会が62年から7年連続入賞するなど実績を残した。

 今治南高、艇友会の元選手で同校コーチも務めた砂田虎善さん(72)=今治市八町西5丁目=は当時の様子を「宇和島東を中心に各学校が切磋琢磨(せっさたくま)していた。全国で勝つより愛媛で勝つ方が難しいともいわれていた」と振り返った。

 ソフトボール女子は今治明徳高メンバーを中心に躍動した。61年、同校は剛速球のエース上田(現古本)早苗投手を擁して高校女子で優勝。これを含めて62年まで4年連続で入賞した。以降も66年の3位、69年の準優勝など好成績を残した。

 62年には、今治市の広洋タオルが、上田投手をはじめ同校出身のメンバーらを集めて実業団チームを結成。初年度に、全日本選手権で優勝したばかりの東レ愛媛を予選で破って国体出場を決めると、一般女子準優勝まで躍進した。

 東京五輪のあった64年は、投手力を軸にした持ち前の堅い守りで、全3試合無得点に抑えた。決勝では高島屋(大阪)と対戦し、白熱した投手戦の末、1―0でサヨナラ勝ちした。

 外野手として今治明徳高、広洋タオル両方で優勝を経験した武田(現石丸)喜美子さん(73)=宇和島市津島町浦知=は「予選から強敵と戦ってきた。国体で全国トップレベルのチームを相手にしても平常心で臨めた」と振り返る。

 この年、今治明徳高はバレーボール女子で頂点に立ち、ハンドボール女子も4位と気を吐いた。皇后杯(女子総合)順位は5年ぶりにベスト10入りし、天皇杯(男女総合)順位を16位まで引き上げた。

 男子競技では高校野球硬式が注目を集めた。62年は西条が決勝で久留米商(福岡)を2―0で下して初優勝。66年は一色俊作監督以下、夏の甲子園準優勝のメンバーで臨んだ松山商が決勝で地元大分の津久見を1―0で下して初の栄冠に輝いた。松山商は68年に準優勝、69年も準決勝まで駒を進めた。67年の今治南の4強入りを含めると愛媛勢は、10年間でベスト4以上が5回。国体でも「野球王国愛媛」を印象づけた。

 愛媛の天皇杯順位は、ほぼ10~20位台と安定していた。地元でライバル同士が腕を競い合い、全国で飛躍する力を培った結果でもあった。

 

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