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国体 愛媛勢の歩み

<1>1950年代まで 上位入る競技団体、誕生

2016年12月19日(月)(愛媛新聞)

静岡国体ボート一般男子ナックルフォアで優勝し、興奮にわく富士紡壬生川クルー=1957年

静岡国体ボート一般男子ナックルフォアで優勝し、興奮にわく富士紡壬生川クルー=1957年

 1946年に始まった国体が都道府県対抗となり、男女総合優勝に天皇杯、女子総合優勝に皇后杯が授与されるようになったのは48年の第3回大会から。当初、愛媛勢の成績は総じて振るわなかったが、47年の県体協再発足と前後して県内で多くの競技団体が誕生。各団体幹部らによる53年の地元国体誘致の動きに合わせるように総合順位も伸びてきた。

 50年には軟式野球一般、相撲高校個人、馬術貸与馬中障害でタイトルを奪い天皇杯順位は30位台から初めて20位台に到達。52年には16位と上昇した。

 松山市堀之内で開会式を実施した53年の四国国体秋季大会には、愛媛から前年の約1・8倍の602選手がエントリーした。目を見張ったのは重量挙げで白石勇、清村義明両選手が優勝するなどして競技別総合1位に輝いた。他競技も奮闘し天皇杯順位は9位。皇后杯順位は8位で初の入賞を果たした。

 50年代は愛媛のポイントゲッターとなる競技が誕生した時期でもあった。

 代表格がボート。52年に4種目で入賞し競技別総合で3位になると、57年はナックルフォアで一般男子の富士紡壬生川と一般女子の東洋紡今治が優勝し、高校男子フィックスの今治南もタイトルを獲得した。58年は富士紡壬生川と東洋紡今治がそろって連覇を達成し、競技別総合と女子総合で2年連続1位となった。愛媛勢は以降も好成績を連発し、他県から一目置かれるようになった。

 

 

 当時の様子について今治ボート協会の矢野庄志会長(79)=今治市高橋=は「みんな全国制覇してやろうという意識はあったが、何よりボートが好きだった」と語る。練習場のある今治市浅川海岸には、艇庫が1カ所に集まっており、今治各地の現役の高校生や社会人選手が寄り合った。学校やチームの垣根を越えてアドバイスしたり、重い艇を一緒に運んだりして支え合い「ライバルだったが、仲良く競争していた」。競技に対する熱意とまとまりの良さが厳しい練習に耐える力になった。

 ソフトボールも躍進し始めた。一般女子の東レ愛媛が54年に初優勝すると、55年もライバルを倒して連覇した。56年は準決勝で、別の大会で負けていた相手に対し、エースを外す思い切った作戦を取り、2―1で競り勝つと、決勝はエースが完封。女子競技で国体始まって以来の3連覇を達成した。快挙を報じた愛媛新聞に大政晨雄監督は「勝因は何といっても投手とがっちり組んだチームワークだ」とコメントし、ナインをねぎらった。

 全国に名をはせる競技がけん引し、50年代の愛媛の天皇杯順位は1桁が2回、10位台が4回と力強かった。

 

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