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64年ぶりの「祭典」・愛媛国体誘致の軌跡

(中)県体協会長の奔走

2016年3月30日(水)(愛媛新聞)

就任した1999年の熊本国体開会式で県選手団を激励する加戸守行知事(当時)=同年10月23日、熊本市

就任した1999年の熊本国体開会式で県選手団を激励する加戸守行知事(当時)=同年10月23日、熊本市

 保守分裂の激戦となった1999年1月の県知事選を制した加戸守行(81)。掲げた主要公約の一つが「スポーツ立県」だった。文部官僚時代は体育局長も務めた加戸。「立候補の際、予算書を見たら選手強化費は四国他県の半分しかない。スポーツが冷遇されていると感じた」

 就任後、打つ手は早かった。県の競技力向上対策費は98年度が約9千万円だったのに対し、99年度は2・4倍の約2億2千万円を計上。「人口が一番多いのだから、四国でトップの額を付けろと。予算編成で注文を付けたのはこれだけだった」と振り返る。

 

 知事選で県体育協会は当時の現職を推薦したが、県内スポーツ関係者には「スポーツ立県」に期待して加戸支援に回る有志も多かった。加戸の当選後、当時の県体協会長らが辞任し、その後任に加戸が「協力を得たい」として就任を求めたのが、当時副会長の大亀孝裕(84)だった。

 加戸と大亀の縁は80年までさかのぼる。その年、県内で開かれた全国高校総体に文部省体育局長として来県した加戸は、懇親会の席で初めて大亀と面会。スポーツへの情熱を語る大亀と「意気投合した」(加戸)という。知事になって日が浅い加戸にとって、数少ない県内の知己だった。

 高校時代、陸上に打ち込んだ大亀。経営する企業に弓道部やボート部、ビーチバレーチームをつくり、後に五輪選手を出すなどスポーツにも力を入れていた。99年2月、県体協会長に就任すると、真っ先に取り組もうと考えたのが、国体誘致だった。「愛媛が一度も単独開催をやっていないのはおかしな話だ」

 

 加戸―大亀体制の発足は、本格的な誘致活動のスタートとなった。

 88年からの2巡目国体は全国を東、中、西地区に分けて持ち回りで実施。西地区の開催地は四国、中国、九州の調整で決まる仕組みになっている。大亀はさっそく就任直後の3月に高知県を訪れ、立候補の意思を伝えると、5月には同じ西地区の広島県を訪問。6月には愛媛と同様に立候補を予定していた長崎県に赴くなど奔走した。

 10月の熊本国体直後には、中国5県全てを1泊2日で車で回り、各県の教育委員会と体協を訪れて協力を求めた。「会長自らこられたのは初めてですよと、中国は全部賛成してくれた」。大亀には、足元の四国に加え、中国を味方に付けて誘致レースを優位に進める戦略があった。

 一方、加戸も99年12月の県議会で「国体誘致は県勢発展につながると認識している。県民の総意として早い時期に開催できるよう支援したい」と表明し、援護射撃した。(敬称略)

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