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64年ぶりの「祭典」・愛媛国体誘致の軌跡

(下)2年の活動結実

2016年3月31日(木)(愛媛新聞)

加戸守行知事(右、当時)に国体開催の内定を報告する大亀孝裕県体協会長=県庁、2001年5月7日

加戸守行知事(右、当時)に国体開催の内定を報告する大亀孝裕県体協会長=県庁、2001年5月7日

 2000年10月14日、富山国体開会式の夜だった。富山市内のホテルで、四国、中国、九州が入る西地区の国体開催地を話し合う調整会議が開かれた。この場で14年国体に立候補を表明したのが、愛媛と長崎だった。結局、その夜は結論が出ず、中立的立場にある中国ブロックの理事に対応が一任された。

 1巡目の国体を開いたのは愛媛が1953年に対し、長崎は16年後の69年。愛媛関係者は当然、開催が長崎より優先されることを期待した。しかし富山の会議から2カ月後の12月14日、中国ブロック理事の裁定は「2014年を長崎、17年を愛媛とする」だった。

 

 17年実施なら愛媛は国体開催が64年ぶりとなる。「空白期間が長すぎる」。県体育協会長の大亀孝裕(84)は不満を募らせ、いったんは裁定を拒否する。しかし、相談を受けた当時の知事、加戸守行(81)の考えは違った。

 2巡目国体は四国の場合、愛媛が済めば4県全てで終了するが、九州は内定済みの大分を除いても未開催は鹿児島、宮崎など5県も残る。「第三者的に見れば九州の心情は分かる。私は譲るべきだと判断した」と加戸。大亀に「長崎の次でいいでしょう」と助言し、大亀も受け入れた。

 この後も九州ブロックでは、愛媛が高知との西四国国体を辞退した経緯などを問題視、裁定に同意しない姿勢を続けたが、01年5月1日にようやく了承した。「17年愛媛国体」が事実上決定した日となる。

 会長就任から約2年の誘致活動が実ったが、大亀には「一年でも早くやりたかった。長崎より後になり、うれしくてたまらんという気持ちはなかった」と悔しさも交じった。大亀と共に二人三脚で各地を走り回った元県体協事務局長の鈴木洋(77)は「会長は国体誘致に執念を持って当たっていた。あの人以外ではこう早くは決まらなかったのではないか」と述懐する。

   

 愛媛国体を86歳で迎える大亀。誘致内定を記念した01年発行の冊子に「スタンドの一角から一市民として開会式を見たいものだ」と記している。

 実は12年3月、同9月、13年2月と3度にわたって高齢などを理由に、知事中村時広(56)に辞意を伝えている。「国体開催県の多くは体協の会長に知事が就いている」とも訴え、中村に会長就任を要請したが、その都度、中村からは「どんな応援でもする。最後までやってほしい」と慰留されたという。

 「3度まで断られたことで私に対する期待の大きさを知り、余計に責任を感じる」と大亀。64年ぶりに迎える国体に向け「地域活性化につながるようにしたい。そのために全力投球する」と決意している。(敬称略)

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