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独走医療 15年続く 万波医師 院内報告せず確執 技術に信念 型破り言動 2006年11月10日(金)

記者会見で腎臓疾患について講義さながらに説明する万波誠医師=7日午後、宇和島徳洲会病院

 死体腎、生体腎に続く「第三の道」として、病気で摘出した腎臓を移植していた宇和島徳洲会病院泌尿器科部長、万波誠医師(66)。腎移植に対する強烈な信念と、それを裏打ちする高度な技術に傾倒した弟やその友人らによって「瀬戸内グループ」が形成され、特異な道を歩んでいった。なぜ約十五年間もの間、問題視されないまま病気腎移植は続いたのか―。
 二〇〇四年三月まで勤務していた市立宇和島病院ではチームで腎移植に取り組んでいた。スタッフに手術内容を説明していたという万波医師。その中に「問題あり」と異議を唱える人は「おらん。どうしてゆうたら私が上やったから」(同医師)。
 腕まくりした白衣にスリッパ履き、両手をポケットに入れたまま歩く。「清貧を地でいく赤ひげ先生」が多くの患者の評判。だが、ひとたび移植手術が始まると変わる。「尿管、血管一つ切るのも的確で無駄な動きがない。そばで見るだけで勉強になった」。かつて万波医師の下で働いた県内の泌尿器科医は振り返る。手取り足取りの指導はしない。医者の卵には、強烈なインパクトが今も残る。
 ただ、独走と、病院内ではなくグループとの連携が目立った。「ドナー(臓器提供者)や移植患者の外来診療は万波医師が取り仕切り、触らせてもらったことがない」と別の元同僚医師。「手術には必ずグループ医師の誰かが立ち会っていた」とも。
 市立宇和島病院の前院長、柴田大法愛媛大名誉教授(73)が振り返る。万波医師は一時、所属していた日本移植学会も脱会。病院への手術報告は事前・事後とも行わず、泌尿器科内ですべて完結した。泌尿器科長に昇任しても、科長会議には一切顔を出さない。病院運営に関する月一回の会合も「出る必要はない」と拒否した。型破りな言動は病院上層部と確執を生んでいた。
 柴田前院長は「二〇〇三年に一度、勤務態度を改めるよう改善命令を出したことがあった」と打ち明ける。だが、万波医師は変わらなかった。翌〇四年四月開業した宇和島徳洲会病院へ定年を待たず転籍した。
 「病気の腎臓でも先生が大丈夫だと言えば信じる」と病気腎移植を受けた患者は言った。一方で「私は移植をしません、と断った途端に態度が冷たくなり、その後は一切話し掛けられることはなかった」とある透析患者が振り返る。
 宇和島徳洲会病院の貞島博通院長は、臓器売買事件発覚後、同意書を取らずに移植手術していたことが判明し、「腎移植はすべて万波医師に任せていましたから」と言葉少なに語った。万波医師の周囲には独特の空気がある。
 【「病気腎 移植受けた」 えひめ移植者の会会長 理解求める会結成へ】
 県内の腎移植患者らでつくる「えひめ移植者の会」(約百人)の野村正良会長は九日、県庁で記者会見し、病気腎移植が問題視されている宇和島徳洲会病院泌尿器科部長、万波誠医師(66)を支援するため「移植への理解を求める会」を結成すると発表した。
 求める会では、万波医師は患者を救うことを第一とし、感謝している▽病気腎の利用が広がることを願う―の二点を訴え、厚生労働省にも嘆願書を出したい考え。賛同者の意見を集約し、近く公表したいとしている。
 野村会長は、自らも三度目の腎移植となる二〇〇〇年八月、市立宇和島病院で万波医師の執刀で腎疾患(ネフローゼ症候群)の患者から摘出された両腎のうち、片方を移植したことを明かし「私も命を助けてもらった一人。使える腎臓が捨てられる状況は耐えられない」と強調、使える体制を整えるよう訴えた。
 手術時の同意書は「なかった」としたが、万波医師から「口頭で成功の確率や移植腎の状態などについて十分説明を受けた。病院長も知っているようだった」と話した。
 移植者の会会員のうち、腎移植患者は八十人余り。うち約四十人が万波医師による執刀で、病気腎移植は野村会長以外、把握できていないという。同会=電話089(978)5434。