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松山松平家初代藩主の弟 定実の軍功リアルに 子孫宅 書状発見 大坂夏の陣 伊達政宗ら証言約束 2016年03月29日(火)

松山市内で見つかった松平定実の大坂夏の陣での活躍を伝える書状。左は伊達政宗からの書状で、政宗の花押が確認できる=28日午後、県庁

 松山松平家初代藩主・定行の実弟、定実(さだざね、1597〜1632年)の大坂夏の陣での活躍を伝える伊達政宗らの書状8通が松山市内にある定実の子孫宅で見つかり、28日に初公開された。調査した伊予史談会役員らは「県内で1600年代初めの古文書は非常に少なく、大名らの書状が残っていることは意義深い」としている。

 定実は、徳川家康の異父弟にあたる松平定勝の四男。1615年、大坂夏の陣では家康の旗本として出陣した。軍功を挙げたが、持ち場を離れたとして家康の怒りを買い、定行の所領があった静岡・掛川に蟄居(ちっきょ)した。
 夏の陣での定実の軍功は、松山藩松平家の系譜書「久松家譜」で「伊達政宗・片倉重綱(中略)横田尹松等書ヲ以テ其効ヲ証ス」と記されており、8通はその原文書にあたる。定実やその家臣宛てで、定実の活躍を家康に証言することなどを記している。
 伊達政宗からの書状(推定16年)は、道明寺の戦いで政宗の家臣・片倉小十郎が定実の活躍を目撃しており、家康から問い合わせがあれば証言すると約束。高取藩主本多政武の書状は、夏の陣最後の戦いとなった天王寺の戦いで、真田信繁に攻め込まれ徳川方が大混乱となった際、定実がその場にとどまって手柄を挙げたことを覚えており、誰に尋ねられてもそのように答えると述べている。
 所有する松平定理さん(86)によると、書状は同市中心部にあった本家の蔵に預けられていたが、1945年7月の松山空襲の10日ほど前に実家へ移したため、戦災を逃れたという。
 伊予史談会常任委員の柚山俊夫、井上淳さんの2人が解読した。井上さんは「大坂夏の陣に参加した名だたる武将の史料がまとまって出てくることはなかなかない。戦場の様子をリアルに伝える史料としても重要だ」と話した。