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俳句甲子園 審査員を務めて 愛媛大准教授(近現代俳句) 青木亮人 2013年09月03日(火)

第16回俳句甲子園全国大会の様子=8月24日

【一喜一憂 青春の記憶 普通の高校生が熱中 渦巻く感性 気付かされ】
 これから記すことは今年の俳句甲子園に審査員として参加し、また多くの出場チームや関係者にインタビューした内容の一部とその感想である。かつて建築家ミース・ファン・デル・ローエが述べた言葉、「神は細部に宿る」を信じつつ、いくつかの断片を紹介することで俳句甲子園の何かを感じてもらえればと願う。

■屈託なく
 ある高校の図書館には句集その他の蔵書がない。出場チームは文芸部メンバー(好きな小説家は有川浩や西尾維新)で組み、「白蓮や水はりつめてゐる夜明け」などの句で勝負したが、惜しくも敗退した。負けたのは悔しかった。特に3年生は来年に出場できないためだ。また、あるチームは俳句甲子園に勝つため日々句作とディベートの練習を重ね、顧問も熱心で指導に余念がない。一方、ある学校は勝敗もさることながら「面白いかどうか」で選句を決めることが多く、他校と感覚の違う作品で勝負に出ることもある。「人類は雑音まみれです目高」、これは他チームならまず出さない句だ。「先輩たちを見て、句が面白ければ勝てると感じるようになった」と屈託なく笑う姿が印象的だった。
 出場者の多くは過去の先輩の句や大会の最優秀作などを読み、また歳時記を参考に「俳句らしさ」を学んでいく。その中でディベートしやすい作品を詠むように心がける生徒もいれば、自分なりにベストを尽くした句で勝負することに意義を感じる出場者もいる。今回、彼らと話して興味深かったのは、「好きな俳人は?」と聞かれて即答した人がほぼいなかったのに対し、「好きな小説や漫画家、ミュージシャンは?」という質問には目を輝かせて答える出場者が多かったことだ。彼らは桜庭一樹や小川洋子などを愛読し、漫画「ジョジョの奇妙な冒険」を読みふけったりする。佐野元春を聴いたり(シブい)、K−POPに夢中の生徒もいた。
 出場者の大部分は高浜虚子や高柳重信などの俳句史をほぼ知らない。句会以外に勉強会を設け、昔の俳人を研究するチームもまれにあるが、歳時記の例句を難しいと感じる出場者もいる。彼らの多くが感動するのは「夕立の一粒源氏物語」「小鳥来る三億年の地層かな」など過去大会の最優秀作であり、「つまみたる夏蝶トランプの厚さ」などの審査員の句である。それで十分なのだ。
 これらに対し、「俳句甲子園は狭い世界にすぎず、それ以外の俳句観もあることを知らない」との批判もある。しかし、考えてみてほしい。彼らは普通の高校生であり、俳句に人生を賭けた俳人ではない。たまたま学校が俳句甲子園に縁があったため参加したとか、人数が足りないので友人に誘われた出場者もいる。いつもは運動部に所属し、ライトノベルを読んだりJ−POPを聴く普通の高校生が、自分なりに良い句を詠もうと時間を費やした結果が多くの作品なのだ。その彼らが大会に出場し、勝利するとガッツポーズを決め、敗北すれば泣き崩れる。スポーツならまだしも、平成期の日本で俳句にこれだけ一喜一憂する高校生が集う大会があることがどれほどすごいことか、簡単に批判する論者はその意義を実感できないのだろう。

■作風彷彿
 また、これは誰も指摘していないが、大会出場者は多様な感性を秘めており、たまたま勝利に結びつかないか、本人が気付いていないだけで、実は豊かな可能性を秘めた場合が多い。それは決勝まで進む学校の句や優秀句などのみ眺めるのでなく、負けた句や大会で披露しなかった作品(全チームは勝ち進む場合を想定し、決勝までの句を用意している)も併せて鑑賞すると、さまざまな感性が渦巻いていることに気付かされる。
 例えば、ある初戦敗退チームの「蓮の花みどりの池に浮いてゐる」は、かの高浜虚子率いる昭和期「ホトトギス」を彷彿(ほうふつ)とさせる作風で、具体的には藤後左右の「写生」句に近い。「夕焼や千年後には鳥の国」(今年の最優秀句)の隣に「蓮の花」句を並べた時、俳句甲子園の今一つの可能性が感じられないだろうか。
 ただ、これは研究者の視点なのかもしれない。一般的に「蓮の花」句は佳作と見なされないだろう。そもそも、出場者に大切なのは俳句甲子園という場であり、そこで勝負し、多くの人と語りあったという記憶である。彼らの中には俳人を目指す人がいるかもしれないが、多くは俳句甲子園が懐かしい思い出となり、平凡な日常を暮らす社会人になるはずだ。
 ある出場者(3年生)は大会後にツイッターでこうつぶやいた。「私がこれから俳句に触れるのは俳句甲子園のOB・OG会くらいしかないと思うの。俳句が好きというより俳句甲子園が好きなんだと思う」。高校生のある時期にさまざまなきっかけで句作に熱中し、四国の松山で笑い、泣き、喜びと悔しさの中で仲間に出会い、語り明かしたということ。俳句とともに過ごした日々は戻ることなく、それゆえ大切な思い出となる。俳句甲子園はその意味でまさに青春なのだ。これ以上、何を望むことがあろう。

■諳んじる
 大会翌日の夕方、高柳克弘氏(審査員)や神野紗希氏(松山東OG)、また甲子園OB・OGの皆さんと道後のカフェで句会を行った。自己紹介の際、沖縄の高校OBが「憧れの俳人は高柳・神野両氏です」と言った。今年の大会出場者もそうだったが、彼らの中で神野氏は憧れの存在であり、特に「カンバスの余白八月十五日」(2001年の最優秀作)は大会史上の傑作として今も多くの関係者が諳(そら)んじている。沖縄のOBもその句のファンということだった。
 大きな窓から夕日がさしこむ部屋で、元出場者たちは高柳・神野両氏と句会をする幸せとともに、それぞれの俳句甲子園の名残を慈しみ、悼みつつ懐かしんでいるようだった。

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